信州須坂移住支援チーム

「須坂市に住んでよかった」 「須坂市に住んでみたい」と思える魅力的なまちを目指しています。

2017/12/05

「ふるさとを感じる日本型の理想土(リゾート)宿」花仙庵 仙仁温泉岩の湯

Permalink 09:45:19, カテゴリ: インタビュー記事  

<須坂しごとラボVol.17>
代表者名:金井辰巳
従業員数:53名
創  業:昭和34年
事業内容:旅館業

仙仁温泉岩の湯は、須坂市街地から菅平高原に向かう峠の入り口にある国道406号沿いの山間にたたずむ温泉宿です。
県内外からリピーターも多く「一年先まで予約ができない宿」と言われるほどの人気の宿です。
須坂市内から車で15分程度、須坂駅からも市民バスが出ていて終点が岩の湯になります。
岩の湯の駐車場に入ると従業員がすかさず車の誘導に走る姿が印象的です。
「仙仁(せに)」とは地名で、駐車場から宿までをつなぐ橋の下を仙仁川が流れています。
この仙仁川のせせらぎと木々の緑が、また季節が変われば真っ赤な紅葉が、訪れる多くのお客様の心を癒しています。
日常から離れた異空間で最高級のおもてなしを提供する岩の湯は、須坂市を代表する温泉宿です。

●幼少期の思い出と旅館業への思い
二代目の金井辰巳社長は現在65歳。群馬県の出身で、7歳の時に家族で須坂市に引っ越してきました。
「もともとあった岩の湯の建物を両親が引き継いで経営をすることになり移住しました。昭和34年の創業からはお客様中心の生活に変わり、家族が揃って食事をとるのも難しい環境でした。幼かった私にとって決して満足のいく生活スタイルではありませんでした。そんな体験から、岩の湯にお越しいただくお客様には、普段の生活で失っていた時間を取り戻す場所としてゆっくり過ごしてもらいたいので「たかが一泊されど一泊」の気持ちでお客様に満足いただけるサービスを提供しています」
金井社長は昔を振り返りながら話してくれました。

●救ってくれた哲学者ルソーの本
「東京での学生時代は法学部に所属し弁護士を目指していました。当時はいろいろな悩みを抱えていて、ある宗教を信じ頼った時期がありました。そんな時、題名に惹かれて「告白」というフランスの哲学者ルソーの本を手に入れ、夢中になって読みました。反体制、反宗教的とみなされたルソーが民衆から追放され、恋愛でも不幸な道を辿った自伝が書かれた本です。そんなルソーを癒した島がサン・ピエール島(北大西洋にある島、フランス領)で、ルソーはこの島が安住の地だと書いていました。これだけの本を残す偉大な人物でも悩み苦しむ人生を送っていた「真実は一つじゃない」と気付き宗教から抜け出すことができました。現代の人が求めるのは、このサン・ピエール島のような場所なのだとひらめき、岩の湯をサン・ピエール島のようにしようと思い跡を継ぐことを決めました。この時は地に足が着いた心境だったのを覚えています」
このように金井社長は、旅館業を継ごうと決心した経緯を話してくれました。

●社長が描く理想土(リゾート)宿
岩の湯は平成元年に新装オープンし、現在の客室数は全部で18室。広々とした和室とその一角にはゆったり座れるソファーが置かれ、どの部屋もくつろぎの空間を感じます。
「以前から、旅館が欧米型のリゾートに近づいていいのだろうかと疑念を抱いていました。リニューアルの目的は日本人としての日本型理想土(リゾート)を創り上げることでした。この理想土(リゾート)は「ふるさと」を意味します。庭の植物も私の手で植えました。今も剪定や遊歩道の手入れを作業着になって自分がやっています。岩の湯に行けば味わえる「ひとつの町-ふるさと」を敷地の中に作りたいと思っていました。よく高級旅館だと言われますが、年齢を問わず赤ちゃんや小さなお子さんの宿泊者も大事にしています。限定せずに、どんなお客様でも大事にできるかどうかが大切なことだと考えています」
館内のあちらこちらには素敵に活けられた花々が飾られています。その数200か所以上とのこと。この花からも岩の湯の温かい心配りを感じました。

●岩の湯での働き方
岩の湯では、お客様の接客や調理だけでなく様々な働き方の可能性があると金井社長は言います。
「三千坪の農場を所有しているので、野菜を作ったり管理する人が必要です。敷地内にある遊歩道や庭木の手入れなど、宿全体を見守る70代の従業員もいます。岩の湯は、旅館業にも関わらず土日、祝日等を自由に休むことができます。出勤した場合は手当てが付きます。さらには、クリスマスや年末年始は宿自体を一斉休館にします。そうした休館日が年間30日以上もあります。自分の幼少期を踏まえて、あくまでも家庭を大切にする働き方を推奨しています。子育て中であれば、子どもの学校行事などに合わせて休日を取得することもできます。おそらく旅館の中でも働きやすい職場ではないでしょうか」

また、従業員の研修に関しては、入社式をあえて長野市内のホテルで行い、皆で勉強する機会を設けているそうです。お客様に対する優しさとはどういうものか、基本的な接客マナーなど、外に出る機会を有効に使って学ぶようにしています。社内でも研修会を年に3回ほど定期的に行い、時には社長自らがコーディネート役となりおもてなしを指導しています。
フロントを担当する従業員に働く環境について伺ったところ、1か月前に就職したという若い女性は、以前から岩の湯の喫茶を利用しながら、ここで働くことが夢だったと言います。また、長く勤務するベテランの女性は、歳をとっても楽しく働ける職場ですと答えてくれました。

●岩の湯が求める人材
求める人材は?との問いに金井社長は「パソコンなど機器の扱いが長けている人より、アナログでも真面目な人で「ふるさとの宿」としての対応ができる方を希望します。仕事と人生は別ではないので、いかにお客様を大事に思い寄り添えるか、お母さんのような面倒見の良い人が理想ですね。これまで旅館業を経験していない人の方が柔軟に対応できていい場合もあります。私は東京の大学に進学したので、6年間の都会暮らしを経験しています。都会では得られない豊富な自然や人の心を癒す文化がこの須坂市にはあると思います。今でも東京は暮らす場所というより学びの場という感覚が大きいです。きっと、ギスギスした都会の暮らしから抜けたい人に旅館の仕事は合うのではないでしょうか」と答えてくれました。

今、社長はご長男といっしょに岩の湯を経営しています。そのご長男は、ルソーの唯一の安息の地であったサン・ピエール島を実際に見てきたそうです。そして、金井社長の夢だった弁護士は次男が叶えてくれたとのこと。金井社長は幸せそうな表情で話してくれました。


金井社長とご長男

岩の湯では「ふるさとのやすらぎ」を求めるお客様に癒しの時間を提供しています。
ユーモアたっぷりの明るい金井社長といっしょに、あなたも理想土(リゾート)を目指して働いてみませんか?

◆社員の採用情報と応募について
仙仁温泉岩の湯は大洞窟風呂が名物で、自然の息吹を身近に感じられる秘湯の宿として最高ランクを誇ります。フロント、サービス、管理、調理師を募集しています。宿の業務説明および見学は随時受付けていますのでお気軽にお問合せください。

花仙庵 仙仁温泉 岩の湯(日本秘湯を守る会公式ホームページ)
http://www.hitou.or.jp/hymbrrsv/hymbr_pg01.html?yc=ni129

お問合せ先
株式会社 仙仁温泉 岩の湯
〒382-0034 長野県須坂市仁礼町3159
電 話026-245-2453
FAX026-248-0047

(信州須坂移住支援チーム 豊田)

先輩移住者に聞くVol.9/須坂市峰の原高原ペンション四季のオーナー冨田浩二さん

Permalink 09:25:56, カテゴリ: お知らせ, インタビュー記事  

みなさんこんにちは。このコーナーでは須坂市に移住した先輩移住者にインタビューをして、須坂の暮らしはどういうものか、須坂のいいところ、苦労しているところを聞いていくコーナーです。
今回は須坂市峰の原高原地区のペンションのひとつ、ペンション四季のオーナーである冨田浩二さんにお話をお伺いしました。

◆奥さんと1977年8月に埼玉県から移住

●ペンションオーナーになったきっかけ
東京の高校で教師をしていました。しかし、大変忙しく、また、生まれてこの方、人が多いところでしか住んだことがなかったので、人が少なくのんびりしたところで住んでみたかったということがありました。
まず、峰の原高原で保健休養地開発がされていたのでその土地を見に来ました。
その時に北アルプスが綺麗に見えて、その印象が大変深く、ここで生活したいと思いました。
そして、峰の原高原で生活するにはどのような仕事があるのかを調べていると、たまたまその時代はペンションという宿泊形態が誕生してすぐだったので、それなら素人でもすぐにはじめられるのではないかと思い、ペンション業をはじめました。

●須坂・峰の原高原で生活して良かったこと、苦労したこと
基本的には今の生活に満足しています。
まだ、仕事をバリバリしていた時には冬のシーズンはスキーのお客様ということで忙しかったですが、ある程度歳を取るにつれてスキーのお客様を迎えるというよりも冬を我慢して過ごせば、あとは素晴らしい季節が待っているという心境に変わりました。
逆に苦労したことは、経済的にも、もちろん大変でしたし、慣れない旅館業でしたので台所の中心だった料理を作る妻の方が私よりもよっぽど苦労したのではないかと思います。
幸いなことに40年間ここで暮らしていけるくらいお客様が来て下さったので経済的に苦労したということは少なかったと思います。
今は高齢になり冬の寒さと雪の多さに苦労しています。

●須坂市・地域おこし協力隊への提案
高齢者という立場になって思うことは、高齢者がどうやってここで暮らしていけるかということです。
やはり高齢者がここで暮らしていくには行政の援助がないと暮らしてはいけません。ここ峰の原高原には公共交通機関がありません。
ですので、高齢者が無理をして車の運転をして暮らしていかなければなりません。
これが結構厳しいのです。
ですから一日一便でも、一週間に一便でもいいのでここで暮らしていくために必要な公共交通機関が欲しいです。
また地域おこし協力隊には空きペンションの活用をどうにかしてもらいたいです。
観光的に見ても空き家というのはマイナスになってしまいます。

●移住を希望する方へ
移住希望者にはたくさんペンションに泊まってオーナーさんの話を聞いて欲しいです。
それがここで暮らしていくパワーになります。
私も開業する前にお話を聞いたりしてペンションの経営だったり、峰の原高原のことだったりを聞いてアドバイスをいただきました。
もし、ペンションを経営したいということであれば、偉大な先輩たちがたくさん峰の原高原にはいますので、是非泊まって話を聞くのがいいと思います。

ペンション四季
http://home.t08.itscom.net/horn/siki.html
TEL&FAX0268-74-2736

須坂市地域おこし協力隊  斉藤祐哉

2017/11/20

東京都から須坂市に移住した久米さんご夫婦と受け入れ企業の博善社インタビュー

Permalink 13:29:57, カテゴリ: お知らせ  

平成29年9月に須坂市に引っ越して来て2ヶ月の東京出身の久米達也さん(45歳)と奥様の恵さん(45歳)のご夫婦は、須坂市の「移住支援信州須坂モデル」で移住されました。
この「移住支援信州須坂モデル」は仕事と住まいをパッケージングしてご紹介し移住へと繋げるものです。
久米さんご夫婦に、移住に至った経緯やご主人の新しい仕事についてお話しをお聞きしました。
また、久米さんを採用した博善社(葬儀会社)の竹村総務部長と久米さんの直属上司の小田切事業推進室参事にも移住者受け入れ企業の立場からお話をお聞きしました。
※移住支援信州須坂モデル
https://www.city.suzaka.nagano.jp/kurasuzaka/talk.php?id=185


<久米さん移住決定までの経過>
・1月下旬
長野地域の移住セミナーで須坂市を知り、興味をもって調べ始める
・5月27日(土)
東京で開催した須坂市移住個別相談会に参加
・6月3日(土)
移住体験ツアーに参加し博善社の見学、面談・社宅を見学
・7月1日(土)
博善社で面接試験、採用決定
・7月~9月 
勤めていた旅行会社の仕事を整理、自宅マンションを売却、自動車普通免許を取得
・9月下旬 
須坂市に引っ越し
・10月2日(月)
博善社で勤務開始

久米さんご夫婦のインタビュー
●当たり前だと思っていた東京での片道2時間通勤
「大学卒業後、全国展開する旅行会社に就職して20年以上経過していました。都内4店舗の営業所長を経験しましたが、片道2時間かけて通勤していた店舗もありました。なんとか終電に乗れても夜中1時に帰宅し翌朝5時起きの生活だったり、終電に間に合わなければ会社に泊まる日もありました。都会での仕事はこれが当たり前だと思っていたので、大変さを感じながらもそんな生活を続けていました」

●移住の目的と長野県須坂市を移住地にした理由
「旅行会社での仕事は、接客や海外旅行商品の提案などお客様と対応したり営業所内をまとめるマネジメントをしていました。さらに今まで以上に大きな役割を任され「さあ、これから」という時だった昨年5月のこと、病気で倒れ生死をさまよいました。入院生活を終え8月には仕事の内容を変えて職場復帰し、状況を見ながら再び元の仕事に戻りました。しかし、この病気がきっかけとなり「本当にこのままの生活でいいのだろうか?」と思い始めました。結論は「東京で働き続ける必要性がない」という決断に至り、再び与えられた命を大切にして人生をリセットしようと今年1月から本格的に移住を考えるようになりました。元々、私たち夫婦は山が好きで登山もよく行っていたので長野県をいろいろ調べていました。須坂市は県庁所在地の長野市に隣接しているのと買い物環境や医療施設が揃っていて便利そうな場所だったので、住むなら須坂市、仕事は長野市が多いだろうと思っていました。東京の銀座NAGANOでの須坂市個別移住相談会に参加したところ博善社の紹介を受けました。しかも社宅付きで。これまではどの市町村でも「仕事はハローワークの求人から選んでください」と言われていたので、まさか仕事まで紹介してもらえると思わなかったです。さっそく移住体験ツアーに申し込みました。移住は第一に仕事、住まいはその次の課題だと思います」

●博善社の仕事を決めた理由
「今まで自分は旅行会社の仕事しか行っていなかったため他の業種ができるか不安な面もありました。しかし、紹介された博善社は葬儀会社で、お客様と関わり創り上げる点が旅行会社に共通する部分だったので「これまでの経験を生かせるかもしれない」と直感しました。移住体験ツアーでは、見学と面談のほか社宅も見ることができたことで移住後のイメージがリアルに広がりました。ただ、夜勤があることで以前に病気を患った自分には不安があり、会社に対して率直に希望を伝えさせていただいたところ、担当部署や働き方を考慮し採用していいただきました」

6月の移住体験ツアー風景

●移住するまでに準備したこと
「これまで働いていた旅行会社の仕事の整理や引き継ぎで7月末まで東京で働き、それから他県での合宿免許で車の免許を取得しました。東京では車が必要ない生活だったので免許を持っていませんでしたが、移住後は必要になると承知していたので問題はなかったです。就業後に須坂市内で軽自動車を購入しました。自宅マンションの売却も準備期間中に済んだのですべて計画通りに進められました。採用してくれた博善社の方からは「きちんと仕事の引き継ぎを完了させてから来てほしい」という有り難い言葉もいただいていたので助かりました。仕事を持っていたら即移住というのは不可能だと思います。理解をしてくださった博善社には本当に感謝しています」

●須坂市で暮らしてみて
「まず今は初めての冬が心配ですが、順応していくしかないと思っています。今は車があるので市内の買い物はもちろん市外に移動するのも簡単ですし、長野市の本社に出勤するにも30分くらいで便利です。東京に住んでいた時は新幹線に乗らないと行けなかった自然のある場所へ今はすぐ行けます、それもたくさんあります。お金をかけずに遊びに行けます。来年の夏以降は登山も休みの度に行く計画をしています」

奥様の目線からは「スーパーは以前住んでいた所より数が多いですし、内容も変わらないので困らないです。うれしいのは野菜が安くてたくさん売っていることです。これにはとても満足しています。須坂市は東京と違って、ほどほどの人口で穏やかに暮らせる居心地の良い場所です。電車の時間は調べてから乗るようにすることを覚えました。東京で乗り慣れていた自転車が須坂市では走りづらいことがわかり、いかに一人一台の車社会かということを実感しています」と答えてくれました。
続けて奥様から現在移住を検討している方々へのメッセージとして「私たち夫婦は何よりも健やかに暮らすことが一番の希望でした。人生で何を大切にしたいのか、その価値観を確認できれば先を見据えた移住ができると思います。家族で話し合うことが大事ですね」と、今後の人生をよりよいものにしようとご主人と決意した移住だったことを話してくれました。

最後にご主人が「須坂市で今後ずっと暮らしていくのだから焦らずに気長に慣れていこうと二人で話しています。今の生活は病気が導いてくれた結果でもあり、博善社への就職をはじめ須坂市で暮らすこともご縁あっての移住だと思っています」と話してくれました。

●博善社での仕事と今後の目標
「今は事業推進室という部署で葬儀後の法事やアフターフォローをしていて、お客様を訪問するなど上司に同行しながら仕事を覚えています。早く一人で動けるようになりたいと焦る気持ちもありますが、上司は「焦るな」と声を掛けてくれるのでとても心強いです。長野県の葬儀は東京と異なる部分が多々あり、地域のしきたりなど知ることが多く奥深い仕事だと感じています。東京の職場の人数に比べると規模は小さいですが、与えられた仕事が明確にあるのでやりがいがあります。早く自分なりの色を付けられるようになりたいですし、採用してくださった博善社に恩返しができるよう務めていきたいです」

博善社の竹村総務部長と久米さんの直属の上司である小田切事業推進室参事のインタビュー
●都会からの移住者を受け入れる
「もともとIターンの採用もすすめていたので移住者の採用は特に問題ありませんでした。これまでお世話になった前の会社の引継ぎなどを、きちんと済ませてから来てもらいたいと思っていました。我が社も法事などのアフターフォローを本格的に進める事業推進室を立ち上げるところだったので即戦力になる久米さんの受け入れは本当に良いタイミングでした」

●会社のレベルアップのために
「我が社ではこれまで20代限定の採用を進めてきましたが、久米さんのように20年以上会社で実務を積んできた方は仕事のノウハウを直ぐ生かせるのが強みであり、会社のレベルアップにも繋がると思っています。久米さんは優秀な人材としての採用であったことはもちろんですが、お人柄もプラス要因でした。以前病気を患ったこともあったので心配もありましたが我が社には必要な人材でしたので働き方を考えながら採用を決めました。都会からの移住者でも適任の方がいれば今後もぜひ受け入れたいと思っています」

●将来は会社の軸となる人材に
「久米さんの採用は我が社においても事業推進室の立ち上げとともにタイミングが良かったですし、これは本当にご縁だと思っています。奥様にも、移住して博善社に勤めて良かったと思ってもらえるような働きをしてほしいと願っています」
 久米さんの直属の上司にあたる小田切推進事業室参事は「偶然ですが、私も久米さんと同じように長野市の旅行会社で営業を20年やっていました。同じく40代で博善社の仕事に就きました。久米さんも旅行会社でお客様を対応されてきたので早く職場や業務にも溶け込めると思いますし、できると信じています。将来は会社の軸となって皆を引っ張っていってほしいです」とエールを送りました。


左から竹村総務部長、久米さん、小田切事業推進室参事


博善ホールセレモニー須高会館

移住者の大半は、いざ移住を決めても、現在の仕事の整理や生活の切り替え準備のためにある程度の期間が必要になります。その期間を考慮してくれる企業の存在は移住者にとって本当に有り難いことです。企業にとっても良い人材を採用できることは理想ですし、移住希望者にとっても「移住」に理解を示してくれる会社があるのは何よりも心強いです。「移住者の受け入れ=心を受け入れる」だと私は思います。全国には様々な地域があると思いますが、理解を持って受け入れる「人情」の部分が、この須坂市には強くあるように感じます。また、そう願いながら会社訪問をする日々です。          
今回取材した久米さん曰く「移住は、将来を見据えて計画をしっかり立てれば順当に進められると思う」ということでした。色々な思いを抱きながらも計画をもって進めたからこその移住だと思います。移住には希望者本人による「目的と決断」が必要です。私たち信州須坂移住支援チームは、あくまでも仕事や環境について充実した情報を提供することに徹し、そこに最後の決断のひと押しの部分を支援しています。最後は移住希望者の意志決定次第です。
移住後も引き続き私たち移住支援チームの役目が新たに始まっています。須坂市に移住して良かったと実感してもらえるよう支援をしていきたいと思っています。
移住をお考えの皆さん、まずは須坂市の移住相談会に参加してみませんか?

信州須坂移住支援チーム
移住・定住アドバイザー 豊田貴子

  

須坂市で頑張る新規就農者を支える家族Vol.8「夫婦一緒に過ごせる時間がやっと持てた」

Permalink 09:08:35, カテゴリ: インタビュー記事  

◆秋元倫子さん
本人、夫、長男(高校1年生)千葉県木更津市から移住
ご主人の啓さんは、2016年5月に単身で須坂市に移住し里親研修を始める。倫子さんと長男は、長男の中学卒業を待って高校入学のタイミングで2017年春に移住。

「移住して農業を始めたことで、夫婦一緒に過ごせる時間をやっと持つことが出来た」
今回お話しを伺ったのは、ご主人が単身で須坂に移住をされてからおよそ1年後となる今年の春に“時間差移住”をされた秋元倫子さんです。
冒頭に紹介した倫子さんのことばや、時間差移住の背景には、それぞれのやりたいことや役割を尊重しあいながら、理想の暮らしや生き方を追求し続ける家族の姿がありました。

●夫が農業を目指すまで
夫はもともとものづくりが好きだったようで、会社に勤めるかたわら、「ものづくり」の仕事に就こうとしたことがありました。
しかしその時は、私には生活環境などの面でどうしても受け入れ難い点があり、諦めてもらいました。実はそのことがささくれのようにずっと心に残っていました。
だから夫からぶどう農家になるという新たな望みを聞いたときに、今回はなんとしても叶えて欲しい、応援しようと思いました。

●須坂への移住を決めるまで
移住・就農へ向けて、まず、二人で不安なことを箇条書きにして挙げてみました。
全て望む通りとはいかない点もありましたが、優先順位をつけ、不安材料はひとつずつクリアにしていきました。
私は夫に「絶対成功して」とは言いませんでした。うまくいかないことがあっても次の手段を考えればいいことですから。
むしろ、やりたいことをやらない方が後悔してしまうのは以前の経験のとおりです。
幸い息子もこの移住には賛成で、私たちの背中を最後に押してくれたのは、彼の「早くしないと僕が先に就農しちゃうよ」という嬉しい言葉でした。

●須坂へ移住するまで
移住し農業を目指すことを決めると、まず夫が1年前に単独で先に移住し、ベテラン農家さんのもとで農業研修に入りました。
中学を卒業するまでは生まれ育った木更津でお友達と過ごしたいという息子の希望を尊重し、母子2人で千葉に残り中学生活最後の1年を過ごしつつ、長野県の高校受験の情報収集や準備をしました。
いろいろ、中学校の先生にはご苦労をかけることもありましたが、おかげさまで息子は、今では元気に希望の高校へ通っています。

●須坂で生活してみて感じたこと
須坂はスーパーやコンビニも多く、県立の立派な病院もあり、また県庁所在地の長野市とも隣接しているので、とても便利で暮らしやすいと思います。
「田舎」というより、「都会と田舎の中間」といった感じです。
移住を決める前にいくつかの地域を見て回りましたが、須坂は他の地域とは全く違う印象を受けました。
例えば町じゅういたるところ、道端や空地さえも草刈りなど管理の手が行き届きとてもきれいなのです。
他とは異なる須坂の独特な雰囲気は、須坂の人びとの真面目さや意識の高さ、歴史に育まれた地域全体の文化度の高さに因るものではないかと思います。

●やっと夫婦で一緒に過ごせる時間を持つことが出来た
以前は、ご主人の啓さんは長い間、休日も仕事から離れられず、せっかく家族なのに共有できる時間をほとんどとれないという毎日で、お二人とも割り切れない気持ちを抱き続けていました。
須坂に移住してから一緒に農作業に取り組むようになると「やっと夫婦で一緒に過ごせる時間を持つことが出来た」と感じたそうです。
それは、1日のうちに長い時間を一緒に過ごすという意味もあるでしょうが、むしろ同じ仕事で同じ目線で一緒に社会に係わっているという意味もあるのかもしれません。
「移住は夫の夢の実現を応援するものだったけれど、ふとした瞬間に目に入る美しいアルプスの山並みに感動し、夫に対して“ここ(須坂)へ連れて(移住して)きてくれてありがとう”という感謝の気持ちでいっぱいになる」と、語る倫子さんの表情はとても輝いていました。

大学時代に知り合ったというご夫婦は、子育てがひと段落した今、新たな目標を見つけ、それをふたりで共有し育みながら、恵み豊かな新天地で充実した時間を過ごしているのでしょう。

須坂市地域おこし協力隊  田島和恵

2017/11/06

須坂暮らしサポート情報⑪『須坂市の気候と暮らし』

Permalink 15:11:48, カテゴリ: お知らせ  

  
長野県の面積は全国の都道府県の中で4番目に広く南北に縦に長いため、北信、中信、東信、南信の4つに分かれます。須坂市は長野県の北東部に位置し、西側に隣接する県庁所在地の長野市とともに北信地方に入ります。須坂市と長野市は車で15分から30分で行き来できるため気候のイメージもほぼ同じです。須坂市の気候を知ることで人々の暮らしが見えてきます。
 

●年間降水量は東京の半分です
「須坂市の年間降水量は東京よりも少ない!しかも半分!」移住希望者に話すと誰もが驚きます。
気象庁のデータによると、2016年東京都の東京地点における年間降水量は1779ミリ、それに対して長野県長野市にある観測所の長野地点では923ミリでした。須坂市は雪が降っても年間降水量は一年を通じて東京よりかなり少ないです。須坂市は降水量が少なく昼夜の気温差があること、そして水はけが良い扇状地形はおいしい果樹の栽培地としても最適なのです。
<気象庁のデータより>

●須坂市内の積雪
「雪はたくさん降りますか?」移住相談会で必ず受ける質問です。長野県の人気は夏が涼しくて過ごしやすいことが大きな理由だと思われますが、相談者は冬の生活、とりわけ雪の状況を心配しているようです。長野県は高い山々が入り組んでいる地形のため、標高によって地域の気候に違いがあります。須坂市は長野県の北東部に位置しますが「北側の町=豪雪地帯」ではありません。冬はもちろん寒いですし雪も降りますが、多く降っても30センチぐらいの積雪が年2回程度で、屋根の雪下ろしをしなければならないほどの量ではありません。

冬の一般的な風景


写真は、昨年の大晦日の朝です。昨年のこの頃はまだ雪が積もっていませんでした。

●冬の平均気温は県内でも高い方!?
「冬の寒さはどれくらいですか?」これも移住相談会でよく聞かれる質問です。
須坂市は北信なので寒いのでは?と思われる方が多いようです。長野気象台の統計データによると、一番冷え込む2月の最低気温では隣接する長野市がマイナス7.2度でした。
南に目を向けると、中信の松本市はマイナス7.6度、東信の佐久市がマイナス12.1度、南信の飯田市ではマイナス7.3度と低く、長野市周辺は他と比べて暖かいことがわかります。
これは、標高が高いアルプスなどの山々に囲まれた盆地のため、一度冷えこむと盆地の外に空気が逃げにくいことが理由のようです。

●四季を感じながら須坂市で暮らしませんか

写真は、平成29年10月24日須坂市役所の展望室から望む山々です。
遠くに見える南アルプスは真っ白で、北信五岳の山頂も白くなっていました。冬の訪れを感じさせる風景です。この頃、近くの里山は紅葉が深まり、赤いリンゴが目に入るようになります。
須坂市は身近な自然や周りの山々など景色が季節とともに変化するので、四季を感じながら暮らすことができます。
須坂市で暮らして四季の移り変わりを味わってみませんか?

(信州須坂移住支援チーム 豊田)

:: 次のページ >>