2022/12/28

~二十歳を祝う会までもうすぐ!~

1月号の公民館だよりは「二十歳を祝う会を創る!」の取材記事です。

1月8日(日)に執り行われる「二十歳を祝う会」に向けて今年のスタッフ14人が力を合わせて本番に向け着々と準備を進めています!:oops:

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初めての会議では終始緊張していた様子のスタッフ:oops:
自己紹介から始まり昨年の実施内容を確認しながら今年は何を企画しようか案を出し合います。

会議を何回か重ねていくうちにスタッフの間で打ち解けていき笑顔も見え始めました。


リハーサルもなんとか形になってきました!
本番まであともう少し!:p
学校や仕事で忙しい中でも強力して創り上げたアトラクション☆
スタッフ14人に期待しましょう!:D

2022/12/01

食の大切さを学びました!

~みんなで米作りを体験しました~
こんにちは:oops:

12月号の公民館だよりは「米作り体験を通した食育」の取材記事です。

毎年恒例、井上小学校5年生のみなさんを対象にした米作りが行われました!

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苗植えから始め、泥だらけになりながら準備をしてきました:>>

稲刈りは手作業で刈っていきます;)

脱穀は現代の機械と昔の農機具を体験してみました!



秋になり、やっとこの日がやってきました!
そう、餅つき!:p:p
皆さん力いっぱいに餅つきをしました:>

美味しそうな餅となり、きなこと黒ゴマで味付けをして…:oops:

口いっぱいに頬張り「おいしい!」と喜んでいました!
それを見た井上地域づくり推進委員会の皆さんもやって良かったという表情を浮かべていました:>>

2022/11/04

~仁礼小学校6年生が山岸右京氏について学びました~

こんにちは;)

11月号の公民館だよりは「頌徳碑を通して児童が学ぶ」の取材記事です。

地元愛ある山岸右京氏の活動記録について仁礼小学校6年生の児童たちが真剣に話を聞きました。

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東中学校へ音楽堂の寄贈をはじめ、地元の小・中学校、地域に貢献した山岸右京氏に児童たちは驚いていた様子:roll:

生涯学習推進委員の篠塚さんのお話を聞いて、児童から多くの感想をいただきました!:p

最後は仁礼小学校の敷地に移設された頌徳碑と共に写真を撮りました:oops:
これからも頌徳碑を通じて山岸右京氏の活動は後世へと引き継がれていくことでしょう:D

2022/10/03

~中公亭の取組みを取材させていただきました~

こんにちは;)

10月号の公民館だよりは「木製リンゴ箱でアップルサイクル」の取材記事です。

公民館だよりでは掲載しきれなかった中公亭の取組みを紹介します。

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最近、中公亭ではSDGsから生まれたヒーロー、その名も「中公亭サスティーン」が誕生しました!

サスティーンはサスティナブルからきている名前で、SDGsの大切さを教えるために活動しています。
しかし、彼を活動を脅かすプラスチッカー軍団:lalala:
彼らはSDGsの目標に反する行動をしますXX(


プラスチッカー軍団に立ち向かうため登場したサスティーン!

プラスチッカー軍団はサスティーンに戦いを挑んできました88|



プラスチッカー軍団を懲らしめたサスティーンは彼らと子供たちにSDGsの大切さを教えます。
本格的なアクション、ストーリーに子供たちは大興奮。
これからも中公亭サスティーンを通じて子供たちにSDGsの大切さを教えていくようです。
次回の活躍にこうご期待ですね!

2022/08/31

全文へのリンク 15:18:37, カテゴリ: 須坂市民学園

須坂市民学園第3回講演会

 みなさん、こんにちは!
 8月も終わり、少しずつ秋の気配が感じられるようになりました:p

 さて、須坂市民学園では8月20日(土)に第3回講演会を行いました。
 講師は、満蒙開拓平和記念館 館長の寺沢秀文先生です。
 「満蒙開拓の史実から平和について考える~満蒙開拓団と須坂・上高井~」と題して、ご講演いただきました。

 須坂市民学園では、毎年8月には「平和」をテーマにした講演会を行っています。
 今回は、須高地域にも関係の深い満蒙開拓についてお話をいただき、その歴史を学ぶことで、平和について一人ひとり考える機会となりました。

 中国東北部にかつて13年間だけ存在した「満州国」へ、日本全国から27万人の農業移民が渡っていきました。満蒙開拓団です。開拓団送出が最も多かったのは長野県で約3万3000人。現在の須坂・上高井地区からも638人が渡満しました。

 開拓団が旧満州へ渡った理由と背景は、
 ①満州(国)の実質的支配のため。
  …そこに定住する日本人の人口を増やす必要がありました。
 ②日本国内からの「人減らし」。
  …当時の日本の農村などは子だくさんで貧しく、また世界大恐慌、
   冷害等で養蚕業なども打撃を受けていました。
 ③ソ連や抗日勢力に対する「人間の盾(防波堤)」。
  …満州の国防の一端を開拓団に担わせました。

 団員は、分けてもらえる農地のない農家の次男や三男などが多く、貧しい農村や山村から「分村」、「分郷」などの開拓団が多く送り込まれました。団員が集まらず、責任上渡満していった指導者層や後から「大陸の花嫁」として渡満していった女性たちも多くいました。後期に入り、開拓団員の集まりが悪くなると満14歳~18歳の「満蒙開拓少年義勇軍」を募集し渡満させました。全国的には「一般開拓団」が約7割、「満蒙開拓青少年義勇軍」が3割を占めました。
 
 当時、「20町歩(約19.8ha)の地主になれる」「満蒙は日本の生命線」と謳われた新天地でしたが、実際には、現地の人々の土地や家屋を半ば強引に立ち退かせ、中国人や朝鮮人を小作人等として使用したところも多くありました。日本人開拓団の人々には「侵略」等の意識はありませんでしたが、現地の人々にとって開拓団は「侵略の加担者」であり、中国側では「開拓団」ではなく「侵略移民団」と受け止められています。大切な家や農地を日本人に半ば強引に奪われた悲しみと恨み。それがソ連軍侵攻時の現地の人々による日本人襲撃へとつながっていきました。

 1945年8月9日のソ連侵攻で満州は戦場と化し、大勢の犠牲が生まれました。
 
 ソ連軍侵攻時、若い男性の多くが「根こそぎ動員」のため軍隊に行き、開拓団にはいませんでした。「守ってくれる」と信じていた日本軍(関東軍)は作戦地域と放棄地域に分ける作戦を遂行、置き去りにされた開拓団の悲惨な逃避行が始まりました。集団自決などで多くの開拓団員が犠牲になり、残留孤児や残留婦人が生まれました。

 戦後も旧満州などに残された日本人残留孤児たちがようやく日本に帰国できるようになったのは1972年の日中国交回復がされてからのこと。帰国者の中には日本に永住帰国してからも辛い思いをした人も少なくありませんでした。日本人残留孤児を引き取り育ててくれた「中国養父母」の恩義も忘れてはならない史実です。

 満蒙開拓には日本人側の「被害」だけでなく、現地の人々への「加害」の側面もありました。日中双方に多くの犠牲を出した旧満州と「満蒙開拓」。忘れてはいけない歴史であり、二度と繰り返してはならない歴史です。しかし、満蒙開拓の歴史は、戦後あまり語られてきませんでした。向き合いにくい、「不都合な史実」だったからです。

 『前事不忘、後事之師』(中国の故事)
 ※前事を忘れず、後事の教訓とする。

 私たちにできることは、まず何があったのかを知ること。そして、その事実を周りの人たちに伝えていくこと。「不都合な事実に目をつむる者は、再び同じ過ちを繰り返す」と言われました。

 <学園生の感想>
 ・たとえ「国策」でも、おかしいと思ったことは、おかしいと感じる
  感性が必要であることを強く思った。
 ・「日本人は信用できない。かつて侵略したからではなくて、今の
  日本人がかつての歴史を知ろうとしないから」というアジア青年の
  言葉。私自身も大いに反省し、今後学びたい、そして伝えたいです。
 ・「戦争」や「歴史」について学べてよかったです。他人事ではなく、
  自分の事として、次の人に伝えたいです。

 

 須坂市民学園では、様々な分野の先生をお呼びして講演会を行っています。毎年3月に学園生の募集を行っています。ご興味のある方は、生涯学習推進課までお問い合わせください。

 ※現在、コロナウイルス感染症拡大防止のため、講演会は市民学園生のみを対象として開催しています。

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ーであい ふれあい まなびあいー

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