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2025/10/22

文書館だより 所蔵史料展示「建築家 宮本茂次の仕事」から

09:53:53, カテゴリ:  

今回ご紹介する設計図面は、建物の用途は同じですが、外観が似た建物と、意匠が異なる建物についてご紹介します。
まず、外観が似た建物ですが昭和11年(1936)建設の井上尋常高等小学校体操場(講堂)と、昭和8年(1933)建築の須坂商業学校講堂兼雨天体操場です。規模は違いますが、よく似た外観となっています。

【井上尋常高等小学校体操場】
(設計図)
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(写真)
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【須坂商業学校講堂兼雨天体操場】
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意匠の違いに特徴がある建物として井上尋常高等小学校奉安所と仁礼小学校奉安殿があります。
奉安殿は、天皇皇后の御真影と教育勅語を安置・保管する特別で神聖な建物として戦前の学校に設置されたものです。天皇の神格化や軍国(国粋)主義に基づく教育を象徴するもので、校内で最も神聖な場所として児童・生徒は登下校時に必ず奉安殿の前で最敬礼することが求められていました。しかし、戦後天皇制を象徴する建物であった奉安殿の多くはGHQの指令により撤去・破壊されました。なお、芝宮神社には須坂商業学校にあった奉安殿の基礎部分が残されています。
展示の奉安殿設計は共に、内陣手前にある外陣側が正面のようですが、階段は正面ではなく外陣向かって右側にあり、入り口もあるように見えます。

【井上尋常高等小学校奉安所】
体操場などと共に設計され、昭和11年6月に完成しています。
設計図では、屋根に反りがつけられていますが、井上小学校百年誌に掲載されている写真では直線になっているように見えます。また、屋根の上に設計図にはない鳳凰と思しき飾りがつけられています。
(設計図)
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(写真)
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【仁礼小学校奉安殿】
昭和15年(1940)設計。設計図に「神明造」と記載されていますが、切妻造、平入ではなく妻の側に入り口が設けられています。
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文書館所蔵史料展示「建築家 宮本茂次の仕事」
1 会期:2025年10月30日(木)まで 
会期中は土・日曜日、祝日も開館(無料)
2 会場:須坂市文書館(旧上高井郡役所内)
時間:午前9時~午後5時
3 観覧料:無料

◇古文書等寄贈、寄託のお願い
文書館では須坂市(旧須坂藩域を含む)に関係する歴史資料の散逸・滅失防止を図り、地域の歴史を掘り起こし、研究に資するため、市民共通の財産である須坂市や関係する古文書などの収集・整理・保存・活用を行なっています。
 お持ちの古文書などについて寄贈、寄託していただきますようお願いします。

2025/10/08

文書館だより 所蔵史料展示「建築家 宮本茂次の仕事」から

16:34:59, カテゴリ:  

文書館で10月1日から展示を行っている「建築家 宮本茂次の仕事」から、展示資料の一部を2回にわたりご紹介します。

宮本茂次は須坂工務所を営み、昭和初期から戦後にかけて須坂や中野、下高井地方で数多くの公共施設などを設計・監督した建築家で、須坂町庁舎、須坂警察署、蚕種共同施設組合高水社をはじめ、学校、個人住宅など様々な建築設計を手がけました。
昨年、宮本仁夫氏(㈱宮本忠長建築設計事務所会長)から茂次が作成した設計原図や設計図書424点を寄贈いただき、その内、今展では昭和13年「須坂町庁舎改築設計図」や昭和8年「須坂商業学校講堂(雨天体操場)設計図」など、主に公共施設10棟の設計図25点及び設計図書と、須坂町役場改築に関する須坂町が作成した関係文書などを展示します。

須坂町役場は、昭和11年(1936)日滝村との合併により手狭になった事もあり役場を改築することになりました。当初は元々役場のあった場所に改築する計画で設計しましたが、急きょ現在の生涯学習センターの場所に建築することになり、設計をし直しています。町会で建築場所の変更に関して説明した記録が残されていますが、その理由についてはっきりとした説明の記載はありません。しかし、旧役場には町立須坂図書館及び上高井教育会が入りました。
展示では当初設計と変更後を対比してご覧いただけます。

【当初設計】
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【変更後設計】
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文書館所蔵史料展示「建築家 宮本茂次の仕事」
1 会期:2025年10月30日(木)まで 
会期中は土・日曜日、祝日も開館(無料)
2 会場:須坂市文書館(旧上高井郡役所内)
時間:午前9時~午後5時
3 観覧料:無料

2025/09/25

文書館だより「亀倉屋夜学会関係」

09:58:57, カテゴリ:  

夜学会関係(亀倉町区有文書「明治35年亀倉日誌」より)
 
夜学会については2023年に、米持町の青年有志により設立された盛学会(夜学会)についてご紹介しましたが、今回は亀倉町で設置された夜学会についての記録を「明治35年第弐月 亀倉日誌」綴からご紹介します。

【亀倉日誌(夜学会関係個所を抜粋)
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3月31日 亀倉夜学会を本夜を以って閉会候に付き、村長へ申し上げ候也
7月31日 亀倉夜学精勤生に賞品を相渡す。竹内銀右衛門外5名。右者に手帳一冊宛て渡す事
10月28日 夜学会開設に付き幹事改選期に区会を開設す。選挙会を開設す。本年当選者は竹内善之助8点を以って幹事長と決定す。亦当選者玉井熊重7点を以って副と決定。生徒出頭法は年齢にかかわらず希望者出頭する事に云い渡す事。教員は玉井熊重、三谷融学君両人に依頼す。
11月1日 亀倉夜学会開会相成り候に付き、役場へ11月4日付を以って御届に及び候也。
12月15日 夜学会届
      夜学会生徒 竹内銀右衛門外 計22人
予定夜数  60夜    生徒総数  23人
教員  60夜 9円也  借家料  60夜 3円也
小使料 60夜 1円20銭 石油 一斗 1円也
炭   6俵 2円也   雑費  2円也
計  金18円20銭
前記の通り取調べ候処、此の段御届に及び候也
明治35年12月15日  仁礼村第3区玉井牛太郎
仁礼村長唐澤五一郎殿

亀倉夜学会は、農閑期となる11月1日から翌年の3月31日の間に、60日間開催されていたようです。開始年は不明ですが(亀倉誌では明治27年)、終焉は明治37年に仁礼農工補習学校が開校され、統合されました。

※夜学会で使用したと思われる教科書は「栃倉組文書」に残されており、文書館で閲覧できます。
※仁礼地区における教育の変遷については『亀倉誌』に記載されており、文書館で閲覧できます。

2025/09/12

文書館だより 2025「須坂に残る戦時資料」展から4

14:16:59, カテゴリ:  

2025「須坂に残る戦時資料」展-戦後80年語り継ぐ銃後のくらし-から4

現在開催中の「2025『須坂に残る戦時資料』展」の展示概要をご紹介する5回目は「3 翼賛体制・選挙」についてです。

太平洋戦争が昭和16年(1941)12月8日開戦となり、緒戦の快進撃が続く中で東条内閣は戦争遂行のための翼賛体制確立に向け、昭和17年4月30日第21回衆議院議員選挙を実施しました。東条内閣はこの選挙では候補者の推薦制を導入することを閣議決定し、政治団体として大政翼賛会・帝国軍人会・言論会等の代表者からなる翼賛政治体制協議会を結成し、都道府県支部長は知事が指名されました。推薦を受けた467名のうち381名が衆議院議員に当選、非推薦の当選者は85名でした。
また、当該選挙に当たっては「粛正選挙」をスローガンとしたポスターが作成されています。粛正選挙は大正14年(1925)の普通選挙制度導入の頃から投票買収などの腐敗選挙撲滅として取組まれてきましたが、戦時色が強くなるにつれて翼賛選挙推進のための取組みとなりました。

【ポスター粛正選挙】
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【ポスター 在郷軍人会】
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【紙芝居】
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選挙粛正中央連盟編の全16枚から成る翼賛選挙の紙芝居です。第21回衆議院選挙における翼賛選挙の必要性を分かりやすく紙芝居にして、町会などの場で活用されたと考えられます。

2025「須坂に残る戦時資料」展-戦後80年語り継ぐ銃後のくらし-
1 会期:2025年9月18日(木)まで 
会期中は土・日曜日、祝日も開館(無料)
2 会場:須坂市文書館(旧上高井郡役所内)
時間:午前9時~午後5時
3 観覧料:無料

◎文書館ではアジア太平洋戦争関連図書コーナーを設置しています。文書館開館中(平日9時~17時)どなたでも閲覧できます。(どこでも図書館)

2025/09/03

文書館だより 2025「須坂に残る戦時資料」展から

13:15:53, カテゴリ:  

2025「須坂に残る戦時資料」展-戦後80年語り継ぐ銃後のくらし-から

現在開催中の「2025『須坂に残る戦時資料』展」の展示概要をご紹介する4回目は「2 銃後の暮らし」のうち「(3) 防空態勢・消防訓練」についてです。

昭和16年(1941)12月8日の真珠湾攻撃からわずか4か月後の昭和17年4月18日、アメリカ軍のB25爆撃機により日本本土(東京)は初めて空襲を受けました。昭和19年6月サイパン島をアメリカ軍が占領し、日本本土爆撃の拠点となり11月には東京が空襲を受けました。その後昭和20年(1945)3月10日東京大空襲があり、引き続き大阪、名古屋、広島といった大都市が空襲を受け、空襲を受ける都市は増えていきます。
昭和12年の防空法制定以来防空訓練は各地で行われていましたが、戦況の悪化を受け昭和20年、県下一斉に総合防空訓練が実施されることとなりました。
【総合防空訓練に関する件】
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総第592号
昭和20年4月6日
 町内会長
 警防分団長 殿
須坂町長 田中邦治
須坂警防団長 上原吉之助
総合防災訓練に関する件
敵の空襲本格化するに際(拠)り防空敢闘精神の振起昂揚と実戦的防空態勢の整備強化を図るため、左記要領に依り全県下一斉に総合防空訓練を実施することと相成りたる趣き警察部長より通牒これ有りたるを以って、その防空力を遺憾なく発揮し、訓練所期の成果を納め得るよう格段のご努力相煩わし度、此後及通知候也
   防空訓練実施要領
第一 目的
敵の集中波状攻撃は夜間の無差別爆撃に対する防空各機関初動態勢を強化し、特に隣組を中心とする各種防空機関初期防火における果敢強靭なる敢闘精神の振起昂揚を図ると共に反復空襲被害累加時の警察警防団等の主動防災機関の大火災に対する防火消防活動及び夜間混乱時における各種救護機関の負傷者の救出救護等の防空諸活動に重点を置き、それを演練し以って決戦下の防空態勢を強化せむとす。
第二 主要訓練科目及主眼点
一 防護監視及退避(警防団、特設防護団による防護監視)
 1 速やかなる敵機の補足と的確なる退避信号の打鳴(又はラッパ)
 2 退避信号による敏捷的確なる退避
二 消防、防火
 1 反復空襲に対する隣組を中心とし各種防災機関の行う初期防火消防活動。特に退避より消防防火への敏速なる移行
三 緊急避難、救護
 1 夜間における老・幼・病者等の適切なる緊急避難の誘導
 2 夜間混雑時における隣組、警防団、特設防護団、学校報国隊の負傷者の迅速・的確な救出・搬送並びに応急処置
 3 灯火管制下又は電燈破壊時における医療機関の救護活動
第三 訓練実施要領
一 期日 昭和二十年四月九日 午後四時より同九時迄
二 実施区域 県下各市町村
三 参加範囲 警察、警防団、特設防護団、市町村防空機関、学校報国隊、一般隣組、実施区域の通信・鉄道・電気・瓦斯・水道の各機関、其の他
四 実施内容
 1 本訓練の細部については所管警察署において実情に応じ御適宜計画を樹て実施するものとす。
 2 通信、鉄道、電気、瓦斯、水道の各機関においては本訓練に即応する計画を樹立、実施すること。
 3 工場に対しては警察署管内における範例となるべき適当なるもの一ケ所を指定、警察官指導の下に実施せしめ、爾余の工場に対しては特設防護団長(工場長)、其の他防空の指導に当たるべき者をして見学せしむること。
第四 真防空警報発令時の措置
一 警戒警報発令時
 訓練実施前(午後四時)又は訓練実施中に警戒警報発令せらるるも、訓練を実施又は継続するものとす。但し、敵機本県の上空にあり又は本県に侵入する危険ある場合(ラジオ情報によること)中止としこれに備えるものとす。
二 空襲警報発令時
 空襲警報発令せられたるときは訓練を中止し、真敵に備え其のまま所要の防空態勢に転移し、空襲警報解除後は警戒警報発令時と同様措置するものとす。
三 其の他
防空警報発令により中止せる機関の状況は、実施せるものとして、その後の状況により引き続き実施するものとす。
(第五 省略)

アメリカ軍は空襲に先立ち告知のビラを撒いており、長野市については7月31日に撒いています。そのため、防空態勢の強化について次のような通知がされています。

【防空態勢の強化に関する件】
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警防收第494号
昭和20年8月1日
       須坂警察署長
 各 官公衙    殿
   学校長
   警防団長
   町村長
   特設防護団長
     受持巡査
 防空態勢の強化に関する件
各種情報を総合するに一両日中に本県に対する敵機本格的空襲の公算大なるものあるに付いては本日より向こう一週間位の間特に官公衙、警防団、工場特設防護団等の防空主動機関は元より学校、一般隣組等の防空態勢を強化完備し、警戒に努められたく、此段及依命通牒に及び候也
追って官公衙、学校、工場等においては特に宿直員を増強し警戒を厳にするよう配意相成度

長野市が空襲を受けたのは8月13日で長野飛行場、国鉄長野駅機関区(庫)を中心に5回の空襲を受けました。なお、長野市への空襲については、長野空襲を語り継ぐ会発行の「長野が空襲された」にまとめられています。文書館でご覧いただけます。

※防空に関しては「須坂市誌第5巻第六章 太平洋戦争と須坂 第二節 太平洋戦争の拡大と町村民の生活」に記載しています。
※長野を含む12都市に対する空襲予告ビラは奈良県立図書館ホームページに掲載されています。
https://www.library.pref.nara.jp/collection_sentai/gallery/936

次回は「3 翼賛体制・選挙」に関する展示史料についてご紹介します。

2025「須坂に残る戦時資料」展-戦後80年語り継ぐ銃後のくらし-
1 会期:2025年9月18日(木)まで 
会期中は土・日曜日、祝日も開館(無料)
2 会場:須坂市文書館(旧上高井郡役所内)
時間:午前9時~午後5時
3 観覧料:無料

◎文書館ではアジア太平洋戦争関連図書コーナーを設置しています。

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