用水の汚れに苦しんだ沼目区(もんじょ紹介№12沼目町区有文書から)
北ノ沢用水(米子川の分流)のうち、町用水の流末に位置する日野村沼目区は、水利権を持つこの用水を飲料水と水田用水に利用してきました。
江戸時代にあっては、須坂藩から「用水に塵芥(ちりあくた)を流してはいけない」と厳しく命ぜられていたため支障はなかった。明治時代に入って製糸業が発達してくると、明治20年(1889)に製糸用水を町用水から新たに簡易水道に替えた。それ以来、(須坂町では)生活用水や水田用水として大事に扱われなくなり、町用水が次第に下水道のように見なされ、製糸工場や副産物処理工場から密かに汚水が流され、町民の生活排水ばかりか汚物まで捨てられる状態になってきた。そのため汚れが年を追ってひどくなり、飲料水に使えないだけでなく、水田用水にも用をなさない状態になった。
大正14年11月、日野村長、沼目区長らが陳情書をもってその惨状を須坂町長に訴えた。その中で「右ノ如キ危険ト不安トヲ救フベク、幾多ノ方途ヲ講ジ、或ハ井戸ヲ掘削シ、或ハ他ノ川流ヲ求ムル等、区民必死ノ努力ヲナスト雖モ、未ダ好成績ヲ得ルモノヲ発見セザルナリ」と述べ、もはやここに至っては、須坂町民各位の公徳心の充分なる自覚しか良策は思いつかないと断言している。
その後6年を経過して昭和6年(1931)に種々調査の結果、同村大字塩川地籍に水源地を発見、新たに用水を利用できる目途がついた。しかし、水源地取得、工事等に要する経費約4000円は、沼目区60戸では到底負担できない金額であったので、過半の援助を須坂町に願い出た。当時は世界恐慌下にあって製糸工場の倒産、休業が相次ぐ時であったが、同年1月の須坂町長宛の請願書には「財界稀有ノ不況ニ際シ甚ダ恐入候ヘ共、此悲惨ナル事情ヲご賢察ノ上御援助ヲ賜リタイ」と記されている。
もう一方で、同年4月に町内の製糸業関係の工場にも同趣旨の懇願書が送られ、製糸工場1社、屑糸・蛹油工場5社、他2社から計140円の寄付金が届けられた。
【陳情書】




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