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投稿の詳細: 文書館だより「江戸時代の五人組制度」

2025/01/22

文書館だより「江戸時代の五人組制度」

15:50:31, カテゴリ:  

もんじょ紹介№22小田切幸一家文書から
「江戸時代の五人組制度」

江戸時代にはどの村にも「五人組」が作られていました。寛永10年代(1633~1642)に全国で設置されたと考えられており、明治維新に至るまで続きました。通常は五戸(五軒)で一組を組み、その頭を「(五人)組頭」と呼んでいました。六戸から七戸で一組を組む場合もありました。この場合でも「五人組」と呼びました。ご紹介する文書では六戸で一組となっており、組頭は孫七となっています。
「五人組」の主な狙いは
1 組の中に不埒な者が居たら申し出ること
2 キリシタンとその関係者は隠しておかないこと
3 組の中から欠け落ちする者を出さないこと。もし出たら組中で探し出すこと。
4 組の中で病人など出て耕作が出来かねるようなときは互いに助け合い、年貢などに未納が生じないようにすること。そして未納となる場合は、五人組で弁納すること。
などでした。則ち、治安維持、キリシタン禁教の徹底、年貢納入の連帯責任を負わせることでした。
なお、五人組の構成員となるのは田畑屋敷を所有し、年貢を負担する「本百姓」でした。

今回ご紹介する文書は小田切幸一家に残された文書で、横町の惣助が不埒なことをしたために江戸に出たが、五人組のとりなしで須坂に帰ることが許され、もう二度と不埒なことをしないという誓いと、それに対し五人組が保証することを村役人(年寄、名主)に出した文書です。

【一札之事】
issatu

【読下し文】
一札の事
一 先達て私不埒仕り候に付き、家出致し候節、組合の者へ御帳外になさるべき段仰せ聞かされ候所、組合の者、私妻子もご座候に付き、江戸表に一両年差し置き、心躰相改め候わば、帰国致させ、ただ今までの通りお百姓相続け仕らせたきよう願い上げ候所、ご勘弁をもってお聞き済み下し置かれ、私しあわせに存じ奉り候。然る所病気に付き帰国仕り、右の趣き承知仕り、それぞれ様はじめ組合へも申し訳なくご座候。これ以後の儀は幾重にもこれまでの心躰相改め、お百姓相続け仕るべき旨、組合をもってご訴訟申し上げ候処、お聞き済み下されご厚情の段と存じ奉り候。然る上はいささか不埒致し候とも御上様へ仰せ上げられ、如何に仰せ付けられ候とも、一言の申し上げようもご座無く候。これに依り一札差し出し申し候。以上。
  文化元年子十二月
    横町上組  惣助
 御町年寄中
 御名主御中
前書き惣助申し上げ候趣きに付き、私共ご訴訟申し候処、お聞き済み下され候に付き、これ以後不埒等の儀は致させまじく候。後日のため奥印形致し差し出し申し候。以上
   横町惣助五人組
     三郎右衛門 印
     忠治  印
     粂右衛門 印
     林右衛門 印
     小三郎 印
  組頭 孫七 印
【内容】
先日、私は不埒なこと(禁止されている博奕でもしたか)をしてしまいましたので家出をしました。その時町役人からは「帳外れ者(人別帳から外す・無宿人)」にするようにと言われましたが、私のいる五人組の者たちが「妻子もあることだし、江戸で1~2年働かせて、今までの生活態度を改めたなら故郷に帰らせ、今まで通りお百姓を続けさせてほしい。」とお願いしたところ、お許しいただき幸せに思います。
ところが、江戸で病気になってしまい故郷に帰ることになり、皆さんに対したいへん有難く思います。「これからはひたすら、これまでの生活態度を改め、お百姓を続けたいと思います。」と五人組を通してお願いしたところ、許していただきお情け深いことと思いました。これから不埒なことをしたなら、御上様に訴えられどんな罰を受けようとも一言の言い訳もしません。
(中略)
惣助の言うことを私どもがお願いしたところお許しいただきました。今後は不埒なことはさせません。後々のため印を押した書面を提出します。