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投稿の詳細: 須坂藩館のゆくえ-須坂庁、そして払下げ津へ-

2024/03/13

須坂藩館のゆくえ-須坂庁、そして払下げ津へ-

13:26:34, カテゴリ:  

もんじょ紹介№19
須坂藩館のゆくえ-須坂庁、そして払下げ津へ-
(黒川真家文書から)

須坂藩館(陣屋)跡地は、廃藩置県、版籍奉還を経て、旧藩士などに払下げられ、現在は住宅などのほか、奥田神社や須坂小学校が建てられています。その経過の一端を2回に分けてご紹介します。

大名家として14代続き、最後の藩主堀直明で終わった須坂藩大名の居場所・館(陣屋)は廃藩置県を経てどうなっていったのか、黒川真家文書に残されています。
明治4年(1871)7月14に発せられた「藩ヲ廃シテ県ヲ置ク」勅書により廃藩置県が行われ、須坂藩は須坂県となり旧須坂藩館に須坂庁が設けられました[旧松代藩領の村々(福島村、仁礼村など)は松代県に、旧幕府領(井上村、村山村など)は明治3年に中野県となっています]。藩が所有していた兵器は没収され、武器・弾薬類は東京鎮撫台第二分営が駐屯していた旧上田城まで運び、引き渡されました。
陣屋敷地に居住していた直明は版籍奉還(明治2年6月)後、既に東京へ移住していました。陣屋敷地にあった居宅など建物も「旧須坂庁御払下絵図」にあるとおり払い下げられ、次いで土地が払下げられたものと思われます。
「須坂庁之図」によると陣屋敷地の面積は二町四反四畝廿一歩(約24,268㎡)でしたが、ここから道の部分を差し引いた二町二反八畝廿一歩(約22,681㎡)を「元須坂庁御払下絵図」のとおり、36の区画に分け「構内地坪御払下取調帳」により払下げています。一区画当りの面積は19歩(約62㎡)から519歩(約1,715㎡)となっており、居住地以外の区画は荒無地(未開墾地)として士族に払い下げられました。
また、「構内地御払下取調帳」とあるように、陣屋の外にあった長屋も旧藩士に払い下げられています。

【須坂庁之図】
suzakahanntyou

【明治維新前須坂藩陣屋之図(上高井誌より)】
hannjinnya

【旧須坂庁御払下絵図(建物)】
haraisage tatemono

【元須坂庁御払下絵図(土地)】
haraisage tochi

【構内地坪御払下取調帳(抜粋)】
haraisagetorishirabe
torishirabe2

この荒無地に奥田神社などが建てられることになりますが、次回ご紹介します。