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投稿の詳細: 農兵の取立て

2023/03/22

農兵の取立て

14:15:54, カテゴリ:  

もんじょ紹介№11中島町区有文書から
農兵の取立て

ロシアがウクライナに侵攻し、1年が経過した今も戦いは続いています。報道によるとロシアは当初の目論見が狂い、兵員の消耗が続く中で予備役からの部分動員をして侵攻を続けています。
今回ご紹介する文書は江戸末期、諸外国が開国をせまり、国情も不安定になる中で幕府は天領の村々へ農兵を出すように命じたことに対し、様々理由を並べ猶予を願い出た文書です。

A-24-9-1

A-24-9-2

A-24-9-3

A-4

【読み下し文】
恐れながら書付をもって願上げ奉り候
高井郡幸高村ほか11ケ村、水内郡栗田村ほか3ケ村、役人惣代をもって申上げ候。先般関外御領所村々人選のうえ、それぞれ兵賦差し出すべくよう仰せ渡され、承知かしこみ奉り、しかるところ当国の儀は奥信濃と唱い人物の育ち方いたって無骨ゆえ御用に立つべき人柄の者これなく、殊に去る弘化度地震大災のみぎり潰れ死・焼死・水死等おびただしく至って人少なくの折がらに付き、実にもって当惑つかまつりそうらえども、御郡役の儀に付き精々穿鏧(せんさく)仕り右16ケ村にて2人差し出し候ところ、大嶋村市兵衛儀当6月中より病気まかりあり、御用勤めかね候趣をもってこの程中お下げにあいなり、右人代り早速仰せ渡され、これまた承知かしこみ奉り、村々穿鏧仕り候へども何分前書き申し上げ候とおり、人少のところ無骨の育ち方故御用立ち候人柄の者これなく、さりながら大切の御郡役の儀につき等閑におき候ては恐れ入り候間、村々竈取りとまで厳談に及び候へども、誰有りて承知仕り候者すべてござなく、当惑のあまりとくと勘考仕り候へば村々の内極難に陥り、よんどころ無く他国へ奉公稼ぎにまかり出でおり候者あまたこれあるにつき、右にても呼び返し申し含め早速差し出したく組合限りそれぞれ引戻し人差立て候儀に付き、帰国仕り候までしばらくの内ご猶予願上げ奉りたく、しかしながら聊も等閑に仕り候儀にはござなく候間、なにとぞ格別のご憐愍(れんびん)お聞き済ましなし下され置き候はば、村々広太のお救いと重々ありがたきしあわせに存じ奉り候、これにより両郡村々惣代連印をもって願上げ奉り候、以上

【解説】
幕府は幕末になると海防や村方の治安維持のために
〇文久3年(1861) 代官所に農兵設置を認め、農兵取立てを命じています。代官所は攘夷令に基づき、村ごとに番屋を建て竹やりを用意しておくことなどを決めています。
〇慶応2年(1866)7月 長州戦争と武州一揆の影響を受けて、千曲川の渡し船場と仁礼町など5か所の峠口の防備をするよう命じています。
そこで、「陣屋固(かため)人数」という名の農兵隊が創設されることになりました。それが史料にある「兵賦」です。村高千石に付き兵賦1人という割合で差し出すことになりました。幸高村外11か村は2人の割り当てで差し出しましたが、うち1人が病気になってしまい代りの者を見つけなければならなくなってしまいました。農兵1人を出すということは村にとって大きな負担で、様々理由を述べて猶予を願っています。どのような結果になったのかははっきりしません。

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