子供が生まれると神社に参詣して氏子となりましたが、
今もお宮詣りという麗しい習わしとして伝えられています。
当初は古代、大和の部族が移住する際、
同国宇陀郡榛原より墨坂神を遷祀したものである。
一説には天武2年(673年)であるという。後、
貞観2年(860年)京都の石清水八幡宮より八幡社を勧請して以来、
墨坂神社八幡宮と称するようになった。
昔から朝廷の繋がりがあり、
天応元年(781年)の延喜式神名帳には高井郡6社の
筆頭に記載され、郡内一の宮として定められていた。
神社創建以来の社家は山岸神宮家であり、
中世には、将軍の崇敬が篤く土豪八幡長者、国人領主須田氏は産土神
として崇敬し、武田信玄は武運長久の祈願上を寄せている。
近世の須坂藩主堀氏は、当社を藩祈願所と定め、
高八石を寄進し、正月、例祭、
出府、馬市等が行われ北信一帯の大祭として賑わいをみせていた。
当社は昭和3年件社に列せられた。また、1.5ヘクタール余りの
撞木形境内は、ケヤキ等の大木が鬱蒼とした社叢をなしていて、
昭和61年
須坂市有形文化財(天然記念物)に指定されている。
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