博物館の長期休暇中は、所蔵品の整理・台帳化および調査研究活動や館外事業(八丁鎧塚まつり、須坂きのこ展、臥竜山たんけん)などを行っています。所蔵品の整理作業等を進める中で、貴重な資料を随時、紹介していきます。
天塚一号墳はかつて上八町に所在した古墳です。墳丘は現在消滅しており正確な位置はわかっていませんが、北信濃くだもの街道にある「高甫小入口」交差点南西にあったと言われています。また、『高甫村誌』には、直径一八メートル、高さ三メートルの円墳であったと記載があります。
この古墳から出土した人物埴輪は、明治四一年(一九〇八)十月一日に地元在住の方によって発見されました。発見後に地元の霧原大元神社に奉納され、神宝として大切に保管されていました。その後、須坂市立博物館に寄託され、昭和四五年(一九一二)に須坂市指定有形文化財に指定されました。
写真ではわかりにくいのですが、顔面から首にかけての赤彩(赤く色が塗られていること)が最近、当館学芸員が確認しました。
須坂市内では同じ鮎川流域に築造された古墳である八丁鎧塚、米持天神一号墳、野辺天神四号墳等で一定量の埴輪の出土が確認されています。しかし、ほとんどが細片でありこれだけまとまった形で残存している埴輪はこの人物埴輪だけであり、須坂市でも稀少な考古学資料のひとつであるといえます。
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