博物館の長期休暇中は、所蔵品の整理・台帳化および調査研究活動や館外事業(八丁鎧塚まつり、須坂きのこ展、臥竜山たんけん)などを行っていきます。所蔵品の整理作業を進める中で、貴重な史料を今月から紹介していきます。
寄贈された紙芝居「山中鹿之助」ほか
塩崎源一郎(しおざきげんいちろう)氏は、明治45年6月21日、須坂市九反田で生まれました。昭和14年から大阪府西成区で紙芝居師として活躍。戦後の昭和22年に「日本が再起するために、子供たちに視野の広い人間になって欲しい」という思いから、紙芝居絵元「三邑会(さんゆうかい)」を設立しました。絵元は、紙芝居を企画し、画家に絵を描かせ、できた紙芝居を貸し出す仕事で、塩崎氏の下には、手塚治虫(てづかおさむ)と長編漫画「新宝島」を共作した酒井七馬(さかいしちま)や、関西を中心に活躍した小寺鳩甫(おでらきゅうほ)ら多くの才能豊かな画家が集まりました。
街頭紙芝居の人気は、昭和30年代のテレビの普及により下火になりましたが、塩崎氏は紙芝居の灯を守り続け、平成7年には自宅を改装し、紙芝居博物館を開館。平成12年に亡くなるまで活動を続けました。
昭和54年、塩崎氏の「ふるさとに作品を寄贈して役立てて欲しい」との強い思いから、「山中鹿之助」ほか多数の紙芝居原画が須坂市に寄贈されました。塩崎氏は生まれ故郷の須坂を生涯愛し、「須坂の地でいつか街頭紙芝居がやりたい」が口ぐせだったと言われています。
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