2014/06/27

全文へのリンク 09:55:14, カテゴリ: 文化財の紹介

彫刻作品「私の家族」 看板除幕式

須坂版画美術館前の彫刻作品「私の家族」の看板が完成し、除幕式がおこなわれました:roll:

除幕式には、須坂サッカー協会長と地元の少年サッカーチーム「JFC須坂ジュニア」の子どもたちが出席してくださいました。
惜しくも今回のワールドカップでは日本は敗退してしまいましたが、副市長はサッカー少年たちに、未来に向けて夢を繋いで欲しいと語りました。
須坂サッカー協会長の挨拶で、一番のサポーターは保護者であると語ると、子どもたちは真ん中の母親の像に目を向けていました。

いつか須坂から、世界で活躍するサッカー選手が誕生するかもしれませんね:oops:

富永直樹はすでにこの世を去っていますが、その作品は今も愛され続けています。

2014/06/13

全文へのリンク 14:26:13, カテゴリ: 文化財の紹介

富永直樹 彫刻作品『私の家族』

須坂版画美術館の前に、彫刻家・富永直樹の作品『私の家族』があります。
富永氏は日展を中心に活躍し、文化勲章など多くの賞を受賞した作家です88|
この度、この作品に看板を設置することになりましたので、内容を紹介します:D

―私の家族―
作:富永直樹
寄贈:中澤袈裟美 様
 寄り添う家族の足元にはサッカーボールがあり、3人は遠く空を見つめています。ワールドカップ開催の年である2014(平成26)年4月14日に日本サッカー協会の名誉総裁でもある高円宮久子妃殿下が「花と緑のまちづくり事業20周年記念式典」のため須坂市を訪れた際に、目を留められました。
このブロンズ彫刻は1973(昭和48)年に制作され、第5回日本美術賞展覧会(日展)に出品されたものです。日常の中のさりげない一瞬を捉え、家族の絆や温かさを感じさせてくれる作品です。

富永直樹 略歴
 富永氏(1913(大正2)年5月18日~2006(平成18)年4月11日)は、長崎県長崎市に生まれました。東京美術学校(現・東京芸術大学)の彫刻科塑像部に進学し、在学中に第1回文部省美術展覧会(後の日展)に初入選するなど日展を中心に活躍し、後に同理事長に就任しました。その後、文化功労者、文化勲章などを受章しました。
代表作品に、文部大臣賞を受賞した彫刻作品「平和の叫び」(1968年)があります。また彫刻だけでなく、不朽の名作と名高い黒電話4号機の意匠も手がけ、産業デザインの世界でも大きな功績を残しています。

看板の内容にもありますが、今まさにワールドカップが開催されていますね:p
作品内にもサッカーボールがあるということで、このワールドカップ期間中に設置する予定です。

全文へのリンク 09:10:33, カテゴリ: 文化財の紹介

井上小学校の皆さんが見学に来てくれました!

現在、井上小学校のとなりで、遺跡の発掘調査を行っています。

6月5日(木)に、井上小学校の皆さんが見学に来てくれました:D

黒曜石や、古代の須恵器・土師器の坏などが出土しています。
出土したばかりの土器を見て、子どもたちが目を輝かせていました88|

発掘している現場の中を、学芸員が案内しました。

際の土器や、現場を見た感想は、いかがでしたか?

新しい発見があったら、ブログで報告するのでお楽しみに;)

2014/05/19

全文へのリンク 17:02:28, カテゴリ: 文化財の紹介

大盛況で終了 塩崎源一郎氏寄贈画展

5月2日(金)まで、南部地域公民館で開催されていた『塩崎源一郎寄贈画展』は、なんと!88|来客数300名を超える大盛況でした:p

須坂市内をはじめ、県内外からも多くのお客様にご来場いただき、ありがとうございました:oops:

次回の展示は、塩崎源一郎氏寄贈画展の第2弾として、同じく南部地域公民館にて7月25日(金)から8月14日(木)まで開催いたします。

なお、好評だった紙芝居の展示は、他の作品も加えて、特集展示『市民が築いた博物館』の中で、須坂市立博物館にて7月19日(土)から8月24日(日)までご紹介いたします。

7月27日(日)には臥竜公園フェスティバルにて、塩崎源一郎氏が立ち上げた三邑会(さんゆうかい)による、実際の紙芝居公演も開催する予定ですのでぜひお楽しみに;)

2014/04/03

全文へのリンク 12:07:10, カテゴリ: 文化財の紹介

塩崎源一郎氏寄贈画展のお知らせ

 市制施行60周年を記念して、須坂市出身で最後の紙芝居絵元である塩崎源一郎氏から、昭和54年に寄贈を受けた『東海道五十三次』66点ほかの展示をいたします:D

塩崎源一郎(しおざき げんいちろう)氏の略歴

 明治45年6月21日、須坂市九反田生まれ。10人兄弟の長兄に生れましたが17歳で上京し、単身ブリキ問屋に奉公しました。実学を通じて世に出ようと間もなく独立、勧められて当時流行りだした紙芝居の世界に入り、深川・神田・早稲田を廻って街頭を賑わし奮闘しました。昭和14年に大阪西成区に転居、本腰を据えての紙芝居稼業時代に入り、昭和22年、大阪西成区で紙芝居を制作・配給する三邑(さんゆう)会を設立。後に全国に配給する絵元に発展させました。絵元は、紙芝居を企画し、画家に原画を、作家に文章を書かせ、できた作品を紙芝居屋に貸し出す仕事です。
 手塚治虫と長編漫画「新宝島」を共作した酒井七馬や、所蔵作品の中で傑作と評価されている「孫悟空」の作者、小寺鳩甫(きゅうほ)ら多くの才能豊かな画家が塩崎氏の下に集まりました。
 平成7年に自宅を改装して『塩崎紙芝居博物館』を開き、かつて日本のあらゆる町や村で子供たちの心をとらえて離さなかった『街頭紙芝居』は今も生きています。平成12年5月25日、87歳で亡くなりました。

◎塩崎源一郎氏の詳細は、こちらをご覧ください
http://blog.suzaka.jp/bunkazai/2014/03/18/p26059

 昭和54年10月8日に紙芝居原画「山中鹿之助」(10枚×50巻)が須坂市に寄贈され市立博物館で所蔵しています。
また、昭和55年5月1日には、絵画「東海道五十三次」66点(F6号サイズ)ほかが寄贈され、昭和54年に竣工した須坂市文化会館(現臥竜山公会堂)の所蔵となりました。現在は、南部地域公民館に引き継がれています。
 須坂市への寄贈は、塩崎さんの「故郷に作品を寄贈して役立ててほしい」との強い思いからでした。その塩崎さんは生れ故郷の須坂を生涯愛し、「須坂の地でいつか街頭紙芝居をやりたい」が口ぐせだったと言われていますが、実現しないまま平成12年にこの世を去りました。

 今回の展示では、東海道五十三次66点のほかに、紙芝居原画「山中鹿之助」20点を公開いたします。
豊かな色彩と繊細な表現をお楽しみください:))

【会期】平成26年4月15日(火)~5月2日(金) (土日・祝日は除く)
    午前9時から午後5時
【場所】須坂市南部地域公民館(臥竜公園内) 展示室
    ℡026‐245‐0273
【入場】無料

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