◆昭和40年2月25日指定◆
先月紹介しました「館跡」に続いて、
今回は「山城」を紹介します
「館跡」の南方、妙徳山から北に延びた山の尾根上に「山城」があり、
須坂市指定史跡「竹ノ城」と一体となってこの地を守っていました
普段は山ろくの平地に位置する館を本拠に日常生活を送り、
戦のときは山に築かれた山城に立てこもりました
険しい山道を登り、尾根の稜線上のやや平坦な道を進むと、
いくつかの堀切といわれる城の防御施設を通ります。
尾根を断ち切るように掘られた様子は、今でもよく分かります
そして尾根の見晴らしのよい高台の、
東側に「大城」、西側に「小城」があり、
それぞれ平坦な広場になっている郭(くるわ)といわれる場所があります。
こうした遺構が良好な状態で残っていますが、
それら各種施設の特徴から、
この城は天正10(1582)年6月の織田勢の侵攻に備えて、
最終段階の改修が行われたと考えられています
慶長3(1598)年、豊臣秀吉の命により、
上杉景勝が会津への国替えとなりました。
景勝配下であった井上氏をはじめ、須田氏・高梨氏などの家臣団も、
先祖伝来の地から離れることになりましたが、
このころに、市内に残る数多くの山城が廃城になったと考えられています
▲山城からの眺望
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