投稿の詳細: 松本清張と八丁鎧塚古墳

2009/10/13

全文へのリンク 16:18:16, カテゴリ: 文化財の紹介

松本清張と八丁鎧塚古墳

 北信濃の長野盆地東側にある須坂市には古代氏族の墳墓である古墳が多く分布しています。そのほとんどが川原石を積み上げた積石塚とよばれる古墳です。須坂市南部を流れる鮎川沿岸段丘上には、積石塚古墳が数多く分布していることで知られています。特に「八丁鎧塚古墳」は県史跡に指定されています。

駐車場から見た鎧塚古墳


物見台からの景観、中央は鎧塚6号古墳
左1号古墳、右2号古墳
八丁鎧塚は、平成9年史蹟公園として整備されました

八丁鎧塚は、古くから地域の人々に大切に守られ、幾多の消滅の危機から救われてきたそうです。昭和32年上高井郡誌編さん会が中心となって調査が行われ、昭和36年に報告書が発表されました。八丁鎧塚は、その出土品などから五世紀初頭の築造とされ、とくに馬具の飾り銅製帯金具(獅子噛紋の獣首面)が三点出土しており、この紋様は朝鮮半島からの渡来系文化の影響が色濃いと考えられ、多くの人々の注目を集めました。

その頃、ある縁からこの古墳を訪ねた人がいました。社会派推理小説家として有名な松本清張です。松本清張氏の鎧塚来訪のきっかけを作った、東京学芸大学名誉教授市川健夫先生から次のようなお話をうかがいました。先生は当時、須坂高校の社会科の教師をされていました。

先生のお話
昭和36年のことだった。須坂高校に松本清張氏を呼ぼうという話があった。当時須坂高校では、外部から講師を呼んで生徒向けに講演会を行っていた。講演会担当の先生が、松本清張に手紙を送り講演を依頼するがなかなか返事がもらえない。私が松本清張氏に電話してみることになった。
電話で私はまず、「日本で最大級の積石塚古墳を見にきませんか。」と言った。日本の積石塚古墳はおよそ1100基あるが、そのうち半数以上の600基が長野県の高井郡(旧上高井郡・下高井郡)にある。特に須坂市八町にある鎧塚古墳は、積石塚としてその大きさと規模において日本で最大級であると。このような説明から見においでになりませんかと話した。
 すると、松本清張氏は「ぜひ、うかがいたい。」とすぐに承諾の返事をもらった。松本清張氏は「積石塚」の存在を知っていたし、この電話だけでも歴史の教養がある人だと感じた。

東側からの景観

 昭和36年の秋9月であったと思うが、松本清張氏は土曜日に須坂に来て須坂高校で講演をした。夜は須坂の魚なか旅館に宿泊し、翌日の日曜日は須坂市公民館で市民向けの講演をした。松本清張氏を鎧塚古墳にも案内したが、大変感激された。古代高井郡には、高井牧・大室牧・笠原牧の3つの官牧があった。東北アジアの馬の飼育に長けた騎馬民族であった高句麗の人々が海を渡ってやってきた。積石塚は彼らの騎馬民族文化の定着を示すものである。高井郡はこうした異民族を受け入れる土壌があったと思われると説明した。実際に鎧塚を見て、松本清張氏に理解していただけたのではないかと思っている。
                       平成21年8月21日聞取り

※『長野県須坂高等学校 第十八回卒業記念 1966.3』の略年表には、昭和39年10月に「講演会(松本清張先生小説のつくりかた)」と記載されております。

八丁鎧塚古墳(須坂駅から車で約15分)
場所はこちらです
http://www.suzaka.ne.jp/map/?E=138.3243727684021&N=36.62363929711905&Z=0

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