投稿の詳細: 延命地蔵堂の桜

2006/04/26

全文へのリンク 13:24:38, カテゴリ: 文化財の紹介

延命地蔵堂の桜

桜の季節になりました。市街地では今が満開です。そろそろ散って来る頃ですね。でも同じ須坂市内でもまだこれから咲く桜があります。
須坂市内の東、豊丘小学校近くに延命地蔵堂の桜があります。この桜は樹齢450年近いと言われています。450年前といえば、その頃天文12年(1553)から永禄7年(1564)にかけて上杉謙信と武田信玄による「川中島の合戦」がありました。この桜はその頃植えられたものだということです。この桜は須坂市の天然記念物に指定されています。
「大桜」と呼ばれ親しまれています
「大桜」と呼ばれ親しまれています

桜の向こうに「旧園里学校」が見えます
桜の向こうに「旧園里学校」が見えます

昔、この桜の近くに地蔵堂がありました。塩野に住む美しい姫が賊におそわれ切られそうになった時、この地蔵が身代わりなったという話が伝わっています。それから人々はこの地蔵を首なし地蔵と呼ぶようになりました。地蔵堂は今はありませんが、お地蔵様は現在、隣にある「旧園里学校」の中に安置されています。
延命地蔵縁起より
その昔、塩野に大鈴某という郷士があった。郷士は甲越合戦の折甲州方につき、合戦で討ち死にしてしまった。彼には妻と娘があった。娘は16で美しく才能に優れていた。父が死んでしばらくして母が病気になってしまい、娘は母の病の回復を祈るため小婢一人を連れて地蔵尊の堂に籠った。戦国時代のことであるから野武士や山賊などが横行しており、娘がお堂に入っているのをうかがい忍び込んで小婢を縛りつけ、娘にたわむれかかった。武家育ちの娘は気丈にも懐剣を抜いて戦ったが賊に首を打ち落とされてしまった。小婢はこの様子を見ていたが柱にくくられている身でなすすべがなかった。ところが、以外にも地蔵尊の後ろから娘が現れて小婢の縄を解いてくれた。余りの不思議さに二人が辺りを見れば、もったいなくも地蔵尊の首は下に落ちていた。さては地蔵尊が身代わりになってくださったのだと二人は涙を流した。その後娘は母を看取り善光寺の尼寺に入ったという。(略)             
満開の頃の桜、今年はまだこれから・
満開の頃の桜、今年はまだこれからですよ。

延命地蔵堂の桜
場所:須坂市豊丘(豊丘小学校隣)
詳細:地図はこちらです
http://www.suzaka.ne.jp/map/?E=138.3511519432068&N=36.63316209558658&Z=0

連絡先:須坂市教育委員会 生涯学習体育課 文化財係
    TEL:026-248-9027

コメント:

コメント: 滝沢健一 [訪問者]
この桜の見ごろはいつ頃になるのでしょうか。
満開の桜を見に行きたいです。
永続的リンク 2006/04/26 @ 15:33
コメント: bunkazai [メンバー]
滝沢さん
コメントありがとうございます。
満開になるのは今年は少し遅いようです。
連休後半に行けば咲き始めるのではないでしょうか。
永続的リンク 2006/04/26 @ 15:35
コメント: bunkazai [メンバー]
延命地蔵堂の桜は、今満開です。
桜前線がここまで登ってきました。
きょうの雨で、花びらが散ってきました。
見に行かれる方は、今日、明日が見ごろですよ。



永続的リンク 2006/05/02 @ 14:15

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