信州須坂移住支援チーム

「須坂市に住んでよかった」 「須坂市に住んでみたい」と思える魅力的なまちを目指しています。

カテゴリ: 地域おこし協力隊

2023/02/06

須坂キラビトvol.6「創業100年を前に。前坂理髪店の“技術”」

地域おこし協力隊の北直樹(自称のーす)がお届けする連載「須坂キラビト」は、須坂市に関わるキラリと光る情熱を持つ人をテーマに、活動のきっかけ、これまでの苦労や未来の活動についてもお話を伺います。

第6回目は須坂市上中町の「前坂理髪店 前坂拓郎さん」を取材しました。

【前坂理髪店オールスターズ】
後列左から 前坂政明さん、土屋俊之さん
前列左から 前坂明美さん、前坂拓郎さん、前坂有紗さん

前坂拓郎さん(30歳)
須坂市出身
1992年6月4日生 
中野西高校を卒業後、東京の専門学校を経て千葉県浦安市の美容室で7年の下積み時代を送る。2020年に須坂市へ戻り4代目として家業を継ぎ、2024年度の100周年に向けて22年12月に理美容室としてリニューアルオープンした。

【“拓郎“との出会い】
———実は拓郎さんに会う前に私が居酒屋でお父さんとお会いし、お互いに「吉田拓郎」が好きだってところから今回のご縁を頂きました!

『父から聞いてます(笑)父はそうやってお話をして“お客さん“を作るので、本当に尊敬しています。実は私の名前の“拓郎”もご存じの通り、吉田拓郎から来ています。私が男の子と決まった時点で名前が“拓郎”に決まってたらしくて・・・(笑)』

———そうだったんですね、そうじゃないかってずっと聞いてみたかったんです。ちょっとプライベートの話になりますが、「NHKのど自慢」にも出たことがあるとか?

『今思うと凄いことなんですが・・・2020年に千葉での修業を終えて須坂に戻ってきたとき“前坂拓郎”のお客さんが全く居なかったんです。せっかく戻ったのになかなか友人や知人にも伝えられなくて、もどかしい思いをしていたところ、たまたまメセナホール関係のお客さんから「のど自慢来るらしいけど、出る?」って言われたので、これはチャンスだ!と思って応募したんです。当時は冷やかし半分で気楽に考えてました(笑)』

———もともと歌は得意だったんですか!?

『別に得意とかではなかったんですけど、子供の頃から誰よりも大きい声で歌うことに自信がありました(笑)予選も150人中審査を通るのが18人という狭き門だったので、とにかく楽しむことだけ考えていました。その後、合格の鐘までもらえるとは・・・』

———声が大きいだけでは合格しません(笑)反響は大きかったですか!?

『放送から「見たよ!」っていうお客さんも増えて、新聞が取材に来たりと、思った以上の成果がありました。本当にありがたいことです・・・。実は、のど自慢大会がコロナの影響で中止続きだったんですが、須坂で2年ぶりに開催されたんです。会場では、市職員やスタッフが開催に向けて細心の注意を払って運営している姿を見て、こんな風に知ってもらえたのも皆さんのおかげだと強く感じています』


※のど自慢大会出場の映像と出場記念に

【20代“技術“への投資】

※大切に保管されてきた創業時の料金表

———のど自慢で知り合った方も今は常連さんになるなど、拓郎さんが戻ってきてからお店に活気が戻ってきたとも言われています。集客で意識してきたことはありましたか?

『私で4代目なのですが、先代みんながいろんな集客の仕方をしてきています。私の父は会話重視型で、髪を切るというより「話に来る」お客様もいるくらい(笑)私はここに来る前に千葉で修業してきたんですけど、東京ではなく千葉を選んだ理由は「集客の技術」を学ぶためだったんです。首都圏から千葉に人を呼ぶ、という技術は長野市と須坂市の関係も同じだと思ったんです。今このお店には無い「技術」を一つでも持ち帰りたいと思い、20代はひたすら修業に費やしました。それは髪に関する技術的なものはもちろん、会話やSNSなどもそうです。今は新しい層として女性のお客様をターゲットに集客をしています』

【女性客が通える理美容店を作りたい】

※女性客の髪を整える拓郎さん

———理髪店というとどちらかというと男性イメージですね・・・

『理髪店って男性でも女性でも普通に使えるんですよ。美容院との違いはお客様にとっては“顔を剃れる”くらい。だから私は常々「女性も入れる理美容室にすれば面白いのでは?」と考えてました。そういった経緯で、修業先は女性客6割の理美容室で働くことを選びました』

———男性メインの理髪店の専門学校で学んできて、女性の髪って簡単に対応できるものなのですか!?

『やはり最初は女性の髪の扱いがわからず戸惑いだらけでした。でも、自分がここで女性客への技術を学べば父に小言を言われないと思い、現場でがむしゃらに学びました(笑)友達の誘いも何度も断り、仕事と家の往復でとにかく“技術”を学びました。そのうちに女性客への技術も、信頼も上がってきたので店長も任されました。現場で技術を学んでいくことは本当に大変でした。この世界は人に“教える“ことは基本的にしませんから。でも私の場合は小さい頃から父を見ていたこともあり、先輩や同僚を見て“技術を盗む”ことは自然に出来ていました』

———その努力が実を結んで、今回「理美容室」としてリニューアルオープンすることが出来ましたもんね!何かハードルはありましたか?

「その頃の学びや、妻が美容師だったこともあり、理美容室としてスムーズに女性客を呼べる体制が整いました。おかげで今は女性客も順調に増えています!』

———確かにSNSでも女性客が多いなという印象があります。様々な客層が来店される中で、初めてのお客様に対して気にかけていることはありますか?

『この仕事は初めて出会った人の頭や髪の毛というデリケートな場所を触るので、とにかく“安心感”を与えることにこだわっています。私は最初の“鏡の前に立った時“と”ヒアリング“で安心感を与える工夫をしています。まずは立ち振る舞いがまず堂々としていること。ヒアリングは男子高校生相手ならフラットでお兄さん目線で話す方が心を開いてくれるし、女性には髪に関するトレンドや知識の話もしっかり取り入れて「勉強してるなコイツ」って思われるようにしたり・・・もちろんこれは例の1つです。この仕事は次にお客様が再来店したときが“結果”が出るときなので、すぐに評価がわからないんです。だから目の前のお客様が満足して帰って頂けるように、その人や年代に合わせた接客を心がけています』

———私も初めて行った時にそれを強く感じました。それが出来るのは、20代の頃に費やした“技術”と“自信”なんだと思います!

【反骨精神×須坂に戻る選択】
———関東でも独立出来たと思うんですが、須坂に戻ってくることに抵抗や葛藤は無かったですか?

『ずっと心の中に“須坂”があって、いずれ戻ってくるつもりでした。もっと早く戻ってきても良かったんですけど・・・創業100周年を前にしっかりと“技術”をつけて帰ってきたかったので時間がかかってしまいました』

———こだわった“女性層への技術向上”ですよね。しっかりと考えてから家業を継ぐあたりが拓郎さんらしい。

『専門時代の友達からも「家業を継げるっていいよな」って言われたこともあって、絶対楽して継いだって思われたくなかった。だから戻ったら「自分の色を出す!」って決めていたんです。母からも「失敗したらいつでも戻ってきていいよ」って言われてたので、余計になかなか帰れませんでした(笑)でも、母のその言葉のお陰で仕事に本当に打ち込めたし、私を育てたのはそういう“反骨精神”なのかもしれません』

———そういうひねくれた感じって若い頃の男は特にありますよね(笑)改めて戻ってきた須坂はいかがでしょう?

『高校時代はわからなかったんですけど、須坂には若くて面白いお店も人も沢山いるし、これからも可能性を感じる町だなと思っています。何かを始めれば須坂ではオンリー1にもナンバー1にもなれるチャンスがある。東京ではどんなアイディアも既に出尽くされていて、産みの苦しみを味わって来たので・・・。実は理美容室も須坂では“初“なんですよ』

———須坂の理美容室は初だったんですね!説得力あります。ところで休日はどんな過ごし方をしているんですか?

『今は夫婦でアウトドアに行ったり、美味しいものを食べたり、お客さんとの会話にもなるので新しいお店や施設、イベントには出来るだけ足を運ぶようにしています。でもちょっと息抜きしたいときは1人でボーっと釣りをしています。釣りの時は仕事も家族のことも一旦忘れて釣りに集中します(笑)そうやって頭のON・OFFが出来るのでオススメです』

【最後に~30代の時間の使い方~】
———拓郎さんの想いは今後どのようになっていくのでしょうか?ビジョンがあったら教えて下さい!

『まず1番はこのお店をお客さんでいっぱいにすること。それが“親孝行”でもあるし、先代たちが守ってきたこのお店への恩返しでもあると思っているんです。お客さんにはここをパワースポットと思って頂いて、この店に来たら元気がもらえるな・・・そこは年齢も性別も関係なく感じてもらえるお店にしていきたいです。今も高校生の恋愛相談とか聞いたりもしているんですよ(笑)
もう1つは、ここで「理容師」を育てたいということ。父も先代達も沢山の理容師をここで育てて独立させてきたんです。実は長野でも理容師が減っていてほとんど“ゼロ”に近いくらい。だから理容師の仕事の楽しさもどんどん発信していきたいし、それが私を育ててくれたこの業界への恩返しと思っています。そしてこの店で修業してどんどん独立して理容室が増えていってほしいですね』

———30代は業界全体のことを考えて過ごすというアツさは拓郎さんらしくて本当に応援したくなります!長時間インタビューありがとうございました!

【リニューアルされた店内】

前坂理髪店ホームページはこちら

【のーすレコメンド!】
30代からのメンズパーマ。
髪のボリュームが落ちて来るので、自然に出すには実はパーマが簡単だったりします。私も「ニュアンスパーマ」という恰好つけたパーマをやっています(笑)
前坂さんで自然な形で仕上げてもらっていて、既にリピート確定です(笑)
はじめてのパーマの人にもパーマのチリチリ感が嫌いな人もオススメです!

【のーすレポート】
拓郎さんの熱さを肌で感じることができ、私の活動の活力になる取材になった。拓郎さんの20代の生き方は私も共通するところがあり、沢山の時間を費やしてきたからこそ“自信”となり“結果”となっているのだと感じた。さらに30代は自分の幸せだけでなく、業界全体も見据えて時間を使っていきたいという思いに経営者としてのキラリと光る情熱を感じた。
前坂理髪店に初めて足を運んだ時「こんにちは!」という全員の元気な声で迎えられ、みんなが気さくに話しかけてくれたので楽しく利用することが出来た。移住して新しいヘアメイクさんを探していた私にとってとても嬉しい出会いで、なんだか“仲間”に入れてもらえたみたいで嬉しかった。私はいろいろなところに住んできてヘアメイクは生活にとって欠かせないものだと思っている。そこで好きなヘアメイクさんに出会えるかで“住んで良かった“とも思えるし、何を隠そう大切な商談前やデート、合コンなど自分の人生に大きく左右するイベントには必ずヘアメイクが関わってきた(笑)
この度、私自身もプライベートでのフォトウェディング前に前坂理髪店にお世話になり、一生残るものを一緒に作って頂いた。やっぱり私は技術もさることながら“信頼できる人“に髪を切ってもらいたい。理容師や美容師は、人と人とを繋げる素敵な仕事なんだと今回改めて感じることが出来た。
これだけ褒めたのだから、次はもっともっとカッコよくしてくれるだろう(笑)

【この記事を書いた人】
北 直樹 (自称のーす)
1986年7月3日 石川県金沢市生まれ
2022年8月神奈川県川崎市より須坂市に移住し妻と2人暮らし
現在、須坂市地域おこし協力隊として活動中
趣味:レザークラフト、野球、DIYなど
好きな歌手:吉川晃司、氷室京介
主な活動:空き家バンク、信州芋煮会
夢は須坂市の特産品で6次産業の企画・開発・営業で起業すること

2023/01/20

須坂キラビトvol.5「“ふくだや”を守りたい」

地域おこし協力隊の北直樹(自称のーす)がお届けする連載「須坂キラビト」は、須坂市に関わるキラリと光る情熱を持つ人をテーマに、活動のきっかけ、これまでの苦労や未来の活動についてもお話を伺う。

第5回目は須坂市北横町の「ふくだや 山岸昂太さん」を取材した。


※左が昂太さん、右が2代目で父の広和さん

山岸昂太さん(28歳)
須坂市出身
高校を卒業後、医療機器販売営業として東京で働く。2年後、当時の労働環境の問題などもあり退職。実家へ帰省し、ちょうど家業の人員不足から手伝いを始めることに。今では8年目となりすっかりお店の顔となった。地元消防団などでも精力的に活動中。

【いいとも的。新崎酒店さんからのご紹介です。】
———まず前回の須坂キラビトvol.4で、新崎酒店さんがふくだやさんに憧れているというお話をしていました。息子が後を継いでくれたら・・・という夢も語っていましたので、今回は昂太さんにスポットを当ててみようかなと思いました!前回の記事も読まれたと思いますがいかがでしたか?

『新崎さんがそう言ってくれたのは素直に嬉しかったです。でも本心ですかね?(笑)私達も新崎さんにはお世話になっていまして、コロナ前、精肉店の上でスキヤキ・しゃぶしゃぶ屋をやっていた時にお酒の仕入れでもお世話になっていたんですよ』

———そうだったんですね!まさかそんな繋がりがあったとは。須坂は狭いですね・・・。
ところで、「山岸さん」なのにどうして「ふくだや」なんですか?(笑)

『北横町でお店をはじめて50年になります。先代の私の祖父が始めたのですが、実はその祖父が早くに亡くなってしまい「ふくだや」の理由がわかっていないんです(笑)当時の記録も残っていなくて・・・長野市のふくだやの暖簾分けという話もありますが、酔っぱらった時に父に話していたことらしいので、定かではありません(笑)もし須坂で他に知っている人が居たら教えて欲しいですね(笑)私達もなんでふくだやなんですか?って聞かれると、いつも困ってしまうんです(笑) 』

———そんな経緯があったんですね。今では須坂で唯一の精肉店となり知名度も上がって名前も変えるのは難しそうですね。須坂では昔から精肉店は多くなかったんですか?

『実は昔、須坂にも7件の精肉店があったんです。昔はお肉ってぜいたく品で、精肉店をすれば儲かるって時代もあったみたいなんです。でも、時代も流通も変わって、スーパーでは安いお肉が並ぶようになって、精肉店では太刀打ち出来なくなっていったんです。私達もそこはかなり苦労しました。他のお店では後継者不足なども重なったりして、最終的に「ふくだや」だけが残りました』

———ふくだやさんだけが残った理由があると思うんですがいかがでしょうか?

『たぶん、祖父達が残した味やこだわりを50年変えなかったことかもしれません。実は皆さんが良く買われる馬刺しやメンチは祖父のころからあって、味もずっと変えていないんです。だからずっと長い付き合いが出来ているのかもしれません。長野県産っていうところにも強くこだわっているので、地元の人たちも愛しやすいのかもしれません。他にも学校給食や病院、消防などいろいろなところに卸しているんですが、それも祖父の時代から変わってないんです。「変化が無い」といえばそれまでですが「変化させない」ことで沢山の人たちに喜んでもらっていることもあって、私達はそこを大切にしているんです。

他にはショーケースもずっと工夫をしてきました。よく精肉店に行くと、ショーケースの半分は何もなかったりしますよね?そんな精肉店で「これありますか?」って聞くのは結構な勇気で、なかなか言えないと思うんです。ふくだやはどんなに天気が悪くても、お客さんが来なくてもショーケースは常に満載にしています。だから活気があるように見えてお客さんも入りやすいのかもしれないですね。父からもここは強く言われていて、ずっと大切にしてきています』


※ショーケースいっぱいに並んだ商品

【創業時からの“馬刺し”へのこだわり】
———私も初めてお伺いしたときに沢山並んでいるショーケースからおすすめを聞いて、馬刺しを購入させて頂きました。とても美味しかったです。
この馬刺しにはどんなこだわりがあるのか教えて下さい!

『馬刺しは松本の目利き士さんとずっと一緒に仕事をしています。それも祖父の時代からです(笑)馬は牛と違って大量に飼育されているものでは無いですし、個体番号などもなく解体しないと脂ノリなんかもわからないんです。ただ大きい馬だからいいってわけでもない、小さければいいってものでもない。その目利き士さんは、ふくだや専用の馬を探してくるプロです(笑)そこは国産馬というところも絶対外せませんね。
あとはやっぱり値段です。高すぎても一般家庭に届かないし・・・馬の数が減っていて全国的に価格も上昇気味なんですが、松本の目利き士さんのお陰で、安くて美味しいお肉を提供出来ているんです。これも変化させなかったことが生んだものかもしれないですね。』

———変化の多い時代で「変えない選択」が出来るのは凄いことです。ご来店される方はどうでしょう?

『昔から“普段使い”される方もいます。塾帰りの中高生がメンチを買って帰ったり。そういう使い方をされるのは本当に嬉しいです。ここぞの時じゃなくても、どんどん使ってください(笑)他には先日、アメリカの方が来たり、大阪から来たり・・・移住者の方も多いんです。タイやベトナムの人も来られたりして、専用メニューも用意してます。お肉は国によって食べる部位も文化も違うので、どんな要望にも出来るだけNOと言わないようにしてます。100gでも少量でも希少部位など要望があれば基本的にNOは無しで揃えますよ(笑)』

———確かに外国文化って様々ですよね。そこに応えているところがまたすごいところです。そろそろ締めていきたいのですが、今後このお店で叶えたい夢はありますか?

『大きな変化をさせることは考えていません。出来るだけ今の“ふくだや”を守ることにこだわっていきたいんです。ふくだやが売れている理由は「50年」が積み上げてきた歴史だと思っていて、先代が作ってきた問屋さんやお客さん、皆さんが作ってきた味を守ってきたからこそ今も続けられているんです。
知り合いの人にも「商人っていうのは“小人”なんだ、偉そうになっちゃダメだぞ」と言われていて、その言葉もすごく大切にしています。
その中でもサービス面の拡充(ホームページを新たに開設!)など、私が出来る小さな変化はしていきたいんです。SNSなんかも挑戦していきたいですね。なかなか時間が無いんですけど(笑)あと新崎酒店さんとのコラボで、お肉に合う日本酒を店内に置こうかって話もしたりしています。ふくだやの歴史を聞いて、名前の由来もあいまいでびっくりしたとは思いますが、これからも100年、200年と「ふくだや」として続いていくのが私の夢ですね』

【のーすレコメンド!】
中高生達も大好きというメンチカツシリーズと馬刺し!
ハムカツが下味も付いてて絶品・・・馬刺しも赤身中心でさっぱりして日本酒熱燗と一緒に頂けば本当に最高です!

ふくだやホームページはこちら

【のーすレポート】
実はふくだやさんには地域おこし協力隊の活動の1つでもある「芋煮会」でもお世話になっていました。芋煮やお鍋にはどんな鶏肉が合うのかと相談に行ったところ福味鶏がいいよ!と教えて頂きました。その後の芋煮の味の変化を知っている方にはもう説明の必要はありませんね(笑)どんな些細な相談にもしっかりと乗ってくれて、小さな要望にも応える。そうすることでスーパーとの差別化を図り、値段では勝てないとわかっているからこそ、味・品質・サービスを追求し、それを変化させない企業努力をしてきた。それが結果として地域の“ふくだや”として定着したんだと今回、改めて感じました。
私は変化することが正義という世界で生きてきましたが「変化させない」ことも勇気で、それを貫くことも大切なのだと学びました。「変化」とは奥深い。
ふくだやさんのホームページにはお肉のすべての単価も記載されています。お客さんがお店に来てびっくり!とならないよう、価格もオープンにしてお客様へ開示しているそうです。このような正直なサービスも「ふくだや」が愛される理由なんだと思いました。
“ここぞ”でも、“いつもの”でも使える「ふくだや」。皆さんも是非足を運んでみてはいかがでしょうか。きっとそこには 「いつもと変わらない“ふくだや”」が待っていますよ。

【この記事を書いた人】
北 直樹 (自称のーす)
1986年7月3日 石川県金沢市生まれ
2022年8月神奈川県川崎市より須坂市に移住し妻と2人暮らし
現在、須坂市地域おこし協力隊として活動中
趣味:レザークラフト、野球、DIYなど
好きな歌手:吉川晃司、氷室京介
主な活動:空き家バンク、信州芋煮会
夢は須坂市の特産品で6次産業の企画・開発・営業で起業すること

2023/01/13

須坂市地域おこし協議会~今年最初の報告会を行いました

Permalink 15:43:04, カテゴリ: 地域おこし協力隊  

「須坂市地域おこし協議会」新年初めての定例会議を市役所で行いました。
メンバーの地域おこし協力隊の中には、移住後初めての冬を体験する隊員もいます。
体調を崩さないか心配もあるなか、今年初めての会議も全員無事に揃うことができました。
皆で口を開けばアイデアも浮かび、次に繋がる会議です。

★活動の様子は須坂市地域おこし協議会ホームページをご覧ください
https://suzaka-kyougikai.com/

2023/01/05

須坂キラビトvol.4「ここぞの“シンザキ”を目指して」

地域おこし協力隊の北直樹(自称のーす)がお届けする連載「須坂キラビト」は、須坂市に関わるキラリと光る情熱を持つ人をテーマに、活動のきっかけ、これまでの苦労や未来の活動についてもお話を伺う。

第4回目は須坂市日滝の「新崎酒店 新崎 孝志さん」を取材した。

新崎孝志さん
須坂市日滝出身
大学を卒業後、初代の父親からの意向を受け事業を承継。現在は独自の仕入れルートで他店には無い品揃えを展開し、市外や県外からのお客様も多い。
本業と共に酒Trap(さけトラップ)という団体の活動も実施している。

【日滝地区に突然現れる酒屋】
須坂市日滝地区の静かなリンゴ畑の中に突如と現れる洗練された酒屋“新崎酒店”そのルーツについて探ってみた。

Q:まず一番最初に聞きたいのが立地についてです。畑の中に突然現れてびっくりしました(笑)

孝志さん「父に始まり私が2代目なのですが、物心着いた時からリンゴ畑の中にありました。私も気になっていろいろ聞いてみたのですが『たまたま』だったそうです(笑)なぜ国道403号沿いじゃなかったのか?自分が聞きたいくらいです(笑)」

Q:実際に立地は集客に影響はありましたか?

孝志さん「昔は有ったと思いますね。でも、今はインターネットがあるので気にならないです。若い人が来たときに、どうやって見つけたの?って聞くと、だいたいがSNSとかGoogleMapですね(笑) 小布施町へ抜けるルートが渋滞していて迂回したらたまたま見つける人も居る。そんな話をするのが面白いんです。私はGoogleMapの使い方、全然知らないんですけど(笑)」

【突然舞い込んだ事業承継】
Q:もともと父親が始めた仕事と聞きました、家業を継いだ経緯を教えて下さい!

孝志さん「私には兄姉がいるんですけど、2人とも家業を継ぐ気がなくて(笑)私はお客様のダイレクトな反応で仕事がしたかったので、農家や自営業をしたいと考えていたんです。そんな時、父から継いでくれないか?と相談を受けて・・・やりたかった自営業が出来るし、ゼロからのスタートではなかったので、それも良いかなと思って、勤めていた食品会社を辞めて引き受けました」

Q:孝志さんはその後、関東の地酒屋で5年間修業し2010年から事業を承継することに。承継後どんなことがありましたか?

孝志さん「関東で修業して須坂市に帰ってくるときに自信満々で帰ってきたんです。でも全然売れなくて。本当にびっくりするぐらい売れなくて(笑)これはまずいぞ、生きていけないぞと思い、ゼロから真剣に考えていったんです」

Q:そこから何を見つけましたか?

孝志さん「私は父が作った販売方法や仕入れルートをそのまま承継して何となく販売していたんです。でも、それは自分のお酒でもないし、そのお酒のことも良くも知らない。こんなやり方でお客さんに美味しさが伝わるわけがないと思っていました。私は何を売りたいかを考えた時に自分世代のお酒を売りたいと思ったし、作り手・売り手・買い手の三方良しの関係が理想だった。もちろん昔の仕入れ先も大切にしながら、少しずつ自分の色を出すようにしていきました。そのころから私のお客さんが増えていった感じがしています」

Q:初めて入店した時も品揃えが多く、選ぶのに迷っても丁寧に教えて頂いたことが印象的です。接客の際に気を付けていることがあれば教えて下さい。

孝志さん「私自身、お客様への対応には出来るだけナチュラルに対応するように心がけています。この人は話しかけてほしくなさそうだなとか、声かけた方がいいかなとか出来るだけ感じとるようにしているつもりです(笑)話しかけて難しい知識をひけらかしてもお酒のハードルが上がって楽しく飲めなくなっちゃいますし。お酒って本来、自分が一日頑張ったご褒美ぐらいの感覚で味わえばいいと私は思っているんです。だからこそもっと気軽に『疲れた時に飲めるものを・・・』とか『すっきりしたものを・・・』みたいな相談でもいいと思っています。お酒にルールなんて無いので、わかりやすい言葉で話をするように心がけています。でも、やっぱり私からは話しかけにくい時があるので、声をかけてくれるとすごく嬉しいです(笑)」

是非、この記事を見て行ってみたい、お酒のこと聞いてみたい!と思った方は気軽に話かけてほしい。地域おこし協力隊の記事を見た!と言えば、よりいっそう優しく接してくれるはずだ(笑)

Q:商品を買って頂く方に“ここを見て欲しい!”というものはありますか?
孝志さん「私達の商売って、お客様がお買い求めになる品物の味見が出来ないんです。だから出来ることは限られていて・・・。その中でも特に“温度管理“を特に大切にしています。日本酒は冬に作られるお酒なんですけど、生酒は製造されてからマイナス3℃をキープすることで美味しさを保つことが出来るんです。夏になるころ温度管理が出来ていないお酒って美味しくないんですよ。だから新崎酒店では商品を陳列している冷蔵庫以外にも保冷用の冷蔵庫があって、その中でお店に並ばないストック品も”温度管理“しているんです。照明の明かりもお酒には良くないのでダウンライトで直接お酒に当たらないようにしています。他には小さなことですが、ラベルシールの裏に『感謝』というラベルを入れています。お酒って感謝とか優しい言葉をかけると美味しくなるらしいんです(笑)そんな小さなことしか出来ませんが、人を通じての販売ならではの温かみを大切にしていきたいって考えているんです」


※ダウンライトでモダンな印象だが実は商品への配慮だった


※ボトルから見える「感謝」の文字

【さいごに】
Q:これからの夢や目標があれば教えて下さい!

孝志さん「私には2人の子供がいるんですが、私の背中を見て『この店を継ぎたい』と思われる仕事をしていきたいです。そして、いつか家族で美味しいお酒を販売できたら楽しいなって思うんです。そのためにはまず自分がこの仕事を楽しむことが一番かなと思っています」

経営者の顔から父親の顔になった孝志さん、息子の前でカッコいい父親で居たい。孝志さんもそんなカッコいい父を見てきたからこそ、言えるのではと感じた。

孝志さん「目指すところは地酒屋界の『ふくだや』(須坂市内の肉屋)さんです。私は友人とバーベキューするときや、いつもより贅沢なお肉を食べたいなーって思ったとき、スーパーよりも『ふくだや』に行くんです。きっとそう考える人って多いんじゃないかな・・・。家業を息子さんが継いでいるところも自分の目標とするところで。いつもすごいなと思っています。友達が来たぞ!親が来たぞ!って時に、『ふくだや』さんみたいに、ここぞの“シンザキ”として選ばれることが私の目標なんです」

孝志さんの目は再び経営者としてプライドに満ちた眼差しに戻っていた。経営者として、時には父として話す孝志さんへのインタビューを通して、私の心は既にここぞの“シンザキ”になっていた。

【シンザキレコメンド!】
孝志さんもプロデュースしているという「Expert Kinoko」
好評につき完売間近の秋季限定「月泉」
飲めばわかる!という「風の森」
のんべぇレーダーが働き、そのまんま3本買ってしまいました(笑)

〈新崎酒店ホームページ〉

〈酒Trap〉

【のーすレポート】
実は移住前に密かに訪れていた新崎酒店さん。
その時に長野の観光帰りの一本を相談してオススメされて買ったお酒が美味しかったことが忘れられず今回の取材をお願いした(何を飲んだかは覚えていない笑)
特に印象的だったのは「封が開けられないからこそできるサービス」という目線だ。保冷だったり感謝のシールだったり。言われなければ誰も気が付かないような工夫に強いこだわりを感じた。
いつか家族で経営が出来たら楽しそうと話しているとき、その光景を想像したら賑やかで楽しいだろうなと思った。誰かから応援される仕事、応援したいと思える仕事は見ている人も楽しませてくれる。
自分もそんな起業家を目指したいと改めて感じた。
日本人のお酒離れが深刻と言われているが、ここぞの“シンザキ“はこれからも輝き続けるだろう。

【この記事を書いた人】
北 直樹 (自称のーす)
1986年7月3日 石川県金沢市生まれ
2022年8月神奈川県川崎市より須坂市に移住し妻と2人暮らし
現在、須坂市地域おこし協力隊として活動中
趣味:レザークラフト、野球、DIYなど
好きな歌手:吉川晃司、氷室京介
主な活動:空き家バンク、信州芋煮会
夢は須坂市の特産品で6次産業の企画・開発・営業で起業すること

2022/12/27

『須坂市地域おこし協力隊 信州須坂モデル』

昨年度起業した協力隊OBが「須坂市地域おこし協議会」を立ち上げ、現在4名の隊員が地域の課題や要望を解決しながら自身の起業に向けて取り組んでいます。
今後も起業支援型の協力隊の配置を積極的に進めるためには、行政に代わり協力隊を受け入れ活動をサポートし起業へと繋げる中間支援組織の育成と支援が欠かせません。

★須坂市移住応援サイトより協議会紹介
https://www.city.suzaka.nagano.jp/kurasuzaka/info.php?id=317


須坂市地域おこし協議会(2022年10月までに4名が着任、現在は隊員4名・OB2名の計6名)
※左奥から早川会長、古川副会長、村田隊員、小田隊員、前列左から野澤隊員、北隊員

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