信州須坂移住支援チーム

「須坂市に住んでよかった」 「須坂市に住んでみたい」と思える魅力的なまちを目指しています。

カテゴリ: お知らせ

2019/11/05

秋の時期だから必見!須坂市の子育て関連情報&支援制度

Permalink 15:53:27, カテゴリ: お知らせ, 暮らしサポート情報  


「子どもの入園・入学の時期にあわせて移住を考えています」

移住相談会で、子育て中のお父さんとお母さんからよくお聞きする内容です。
移住を検討する親御さんは自分たちの転職や住居のことだけでも頭がいっぱいなのに、お子さんの環境や入園・入学・学期などスケジュールもいっしょに考えていかなければなりません。それと同時に移住先の子育て制度などを調べておくことも必要です。
今回の情報を参考にしながら、移住相談会にぜひご参加ください。

①2020年度(令和2年度)保育園・幼稚園の入園申し込み受付が始まっています
保育園と認定こども園の最終受付は、事前連絡のうえ11月15日(金)までに直接園に申し込むことができます。それを過ぎると希望の園への入園は難しくなります。また、幼稚園の受付についての詳細は各園までお問い合わせください。例年この時期を参考にしてください。
https://www.city.suzaka.nagano.jp/contents/item.php?id=59531bb75dec4
詳しくは須坂市子ども課まで
(TEL 026-248-9026)

②2020年度(令和2年度)小学校入学に向けた一日入学(保護者会)があります
市内11校で来入児の一日入学や保護者会が2020年1~2月にかけて行われる予定です。
(2019年12月に予定をしている学校もありますのでご確認ください)
詳しくは須坂市学校教育課まで
(TEL026-248-9010)

③小学校や中学校の転入に係る手続きについて
年度の途中で転入する際は、事前に通学区域の学校を訪問し先生との面談および説明等お聞きします。
https://www.city.suzaka.nagano.jp/contents/item.php?id=595c547eaa7d9
詳しくは須坂市学校教育課まで
(TEL026-248-9010)

④病児・病後児保育
保育園や幼稚園・認定こども園、小学校に通園・通学されているお子さんが、病気または病気の回復期にあり、集団保育が適当でなく、保護者の就労等により家庭で保育できない場合に、専用の保育室で看護師や保育士の専門スタッフが一時的にお預りする保育サービスです。以下の市内2ヶ所で実施しています。
1.さかた山 風の子保育園(病後児保育:生後6か月から小学校就学前まで)
2.やすらぎ病児保育園(病児・病後児:生後6か月から小学校6年生まで)
https://www.city.suzaka.nagano.jp/contents/item.php?id=5959d7aab47b3
詳しくは須坂市子ども課まで
(TEL 026-248-9026)

NEW!【2019年度からの新制度】
⑤子育て支援ショートステイ事業

保護者も人間、疾病などで養育ができなくなることがあるかもしれません。万が一保護者が疾病、疲労その他の身体上もしくは精神上、または環境上の理由により家庭において児童を養育することが一時的に困難となった場合など、児童福祉施設において一定期間の養育を行います。市内に住所を有する18歳未満の児童が対象です。
https://www.city.suzaka.nagano.jp/contents/item.php?id=5db7c033603fa
詳しくは須坂市子ども課まで
(TEL 026-248-9026)

★その他の子育て支援制度はこちらをご覧ください
・出産から子育てに関わる支援制度(PDF形式)
https://www.city.suzaka.nagano.jp/kurasuzaka/upimages/files/seido(2).pdf
・須坂市ホームページ「子育て・教育」
https://www.city.suzaka.nagano.jp/contents/archive.php?aid=140

(須坂市移住・定住アドバイザー 豊田貴子)

2019/09/05

果樹王国は今が旬!フルーツハリウッド須坂

Permalink 14:58:51, カテゴリ: お知らせ  

●市内の共選所から現況をお届けします
須坂市は昼夜の気温差と少雨の気候、そして水はけの良い土壌と扇状地形が果樹の栽培に適した地域です。映画産業で栄えたアメリカのハリウッドも同じように雨が少なかったことにちなんで、この地域を「フルーツハリウッド」と呼んでいます。

いよいよ須坂市も収穫の秋を迎えました。市内5つの共選所(日滝、高甫、日野、豊洲、井上)は収穫された果樹たちのオンパレード。リンゴ、ブドウ、桃、ネクタリン、梨など多くの果樹が農家さんによって持ち込まれ箱詰めされています。

●リンゴ栽培が盛んな豊洲地区
豊洲共選所にお邪魔しました。豊洲地区は市内でも最大のリンゴの生産地です。
この時期に収穫できる早生品種は「サンつがる」です。『サン』は袋をかけず太陽の光をいっぱいに浴びたというおいしさを表すネーミングでJA全農長野が考えた登録商標だそうです。この日もケースいっぱいに積まれた採りたてリンゴが並んでいました。

豊洲共選所では100人が働いており、選別作業では一つ一つを手に取って確かめたり「光センサー」を搭載した選果機で糖度や熟度などを測定してクラス分けをしていました。


豊洲共選所では今が旬の桃の川中島白桃の出荷も行われていました。
箱には糖度を測定する「光センサー」の文字が印字されています。保証された印です。
須坂の桃は海外にも届けられています。特に香港への輸出が多くを占めているそうで、高い技術力と質の良いブランド力が受け入れられています。


須高営農センターの小林副センター長からもおすすめ!

●ブドウ栽培が盛んな高甫地区
場所は変わって、ここは市内でもブドウの栽培が盛んな地域にある高甫共選所。
ブドウは収穫が始まったところなので農家さんから持ち込まれる量は少ないよ、と働いている皆さんが見慣れた風景を話してくれました。
この日、箱詰めされていたのは須坂市生まれの種が無く皮ごと食べられる「ナガノパープル」や「種なし巨峰」でした。深い紫色に輝く立派な粒が並んでいました。


新規就農者もブドウ農家を目指して移住する人が須坂市には多くいます。2011年以降は市の支援制度を利用して22組64人が移住しています。
また、長野県内でも須坂市はブドウの受賞者が勢ぞろいです。新規就農者も受賞するほど立派なブドウ農家になっています。
「ナガノパープル」と同様、種が無く皮ごと食べられるグリーン色の「シャインマスカット」は全国的にも知られるようになり、ブドウ農家を目指す新規就農者の間でも大人気です。

●今年もぶどう祭りを開催します
毎年JAながのでは9月に「須高ぶどう祭り」を開催し、さまざまな種類の高価なブドウを特価で販売します。会場は県内外からのお客様でいっぱいになり、県外ナンバーの車も多く見られます。皆さんの買い求める量にも驚きです。今年(2019年)は9月22日(日)に開催されます。
https://www.ja-nagano.iijan.or.jp/news/2019/09/2019.php

<昨年の様子から>

●さいごに
以前、東京から須坂市に移住された方が「日に日に色づく果実から季節の変化が実感できます」と、須坂暮らしの良さを語ってくれました。
市民が当たり前に過ごしている環境がどれだけ幸せなことか、移住された方の言葉から私たちは素直に受け止めるべきだと思います。
最高の環境で育った美味しい果樹に囲まれて過ごせる町、それがフルーツハリウッド須坂です。

(須坂市移住・定住アドバイザー 豊田貴子)

2019/04/05

須坂市臥竜公園さくらまつりに寄せて

Permalink 13:27:55, カテゴリ: お知らせ  

~日本さくら名所100選の臥竜公園と臥竜山の歴史~

信州須坂も寒い冬を乗り越え待ちに待った春を迎えました。日本さくら名所100選に選ばれている臥竜公園では桜の開花を今か今かと待ちわびています。昨年(2018年)4月3日の開花宣言は予想を超えた早さで驚きましたが、今日現在(2019年4月5日)の様子では、つぼみこそ膨らんではいますが開花予想日はなんとも難しいところです。
お花見を控え、今回は臥竜公園さくらまつりを2倍楽しんでいただけるよう臥竜山や公園の歴史についてご紹介します。


昨年の開花宣言日(2018年4月3日)の臥竜公園池開きの様子

須坂市内を小高い場所から眺めると島が2つ並んだような「臥竜山」が一目瞭然でわかります。臥竜山は古代から住む人たちのシンボル的存在でした。戦国時代初期の明応2年(1493年)に群馬県長源寺の僧侶によって、竜が伏したような山の姿から「臥竜山」と名付けられ、ふもとの興国寺が建てられた際に開山しました。興国寺は須坂藩主だった堀氏の墓所にもなっています。


市内の坂田山見晴台から(中央が臥竜山)

臥竜山は標高471.5m。山頂には遺跡として須田氏が築城した城跡があります。かの有名な上杉謙信と武田信玄の川中島合戦で、須田一族が上杉方と武田方に分断され戦い合うという悲しい出来事もありました。


須田城跡


興国寺


臥竜山の山道
当時も馬に乗って行き来をしていたのでしょうか


臥竜山山頂からの眺め
居城していた頃この風景を見て何を思い,何を考え過ごしていたのでしょう

臥竜山を背景に広がる竜ケ池は、春になると池の周りを囲むように桜が咲き乱れます。この竜ケ池は、昭和初期に製糸業が衰退した為に失業対策事業として多くの人の手によって農業用のため池を兼ねて作られました。公園の設計は、明治神宮や日比谷公園などを設計した元東京大学教授で林学博士の本多静六氏に託されました。公園内の桜は日本さくら名所100選に選ばれるほど見事な桜で、ライトアップで見る夜桜も絶景です。公園の一画には約50種・230点が飼育されている動物園もあります。

臥竜公園は市民の憩いの場として親子連れや犬の散歩などで気軽に立ち寄れる公園です。臥竜山はウォーキングコースとしても整備されていて子どもでも楽しく登れます。私も小学校時代に友だち数人とおやつを持って頂上へ遊びに行きました。その際、須坂市の姉妹都市である新潟県新発田市から来ていた方が楽しそうにしている私たちの写真を撮って郵送して下さるという出来事がありました。今の世の中では考えられないことですが、私にとっては素晴らしい体験として今でも思い出に残っています。

桜の開花が間近に迫った信州須坂の臥竜公園。これまで様々な歴史を見てきた臥竜山を眺めつつ当時に思いを馳せながら、目を奪われるような美しい桜を多くの皆さんに楽しんでほしいです。

(須坂市移住・定住アドバイザー 豊田貴子)

2019/03/20

「産科医療が充実しています」 県立信州医療センター産婦人科医長の堀田先生にインタビュー

Permalink 10:39:27, カテゴリ: お知らせ, 暮らしサポート情報  

須坂市街地にある総合病院「県立信州医療センター」は、地域の基幹病院として大きな役割を担っています。2018年に産科医師の増員や新たな施設の整備など受入れ体制を充実させ、さらに産前産後のサポートを進めています。
産婦人科医長の堀田大輔先生に、ご自身の仕事や産科の取り組みについて話を聞きました。

●信州医療センターで産科医になろうと決めました
産婦人科医長の堀田先生は長野県上田市出身。趣味は、スノーボードや読書(村上春樹が好き!)、温泉(仙仁温泉の洞窟風呂に入ってみたい!)、海外旅行は長期休みを使ってこれまでフランスやインドなど10数ヶ国を旅しているそうです。そんな多趣味の堀田先生ですが、なぜ医療の道を選んだのか、産科医師になろうと決めた経過をお聞きしました。
「医療の道に進むことを決めたのは、高校時代に友人が精神的な病を患い、自分ができることは何だろうと考えたことがきっかけでした。栃木県の大学に進み、その後、信州医療センターで研修医として従事しました。研修期間中に担当だった産科医師のアドバイスに加え、患者さんにより近くで接し、笑顔で帰る姿をたくさん見たいという思いから産科の医師になることを決めました」

●須坂市に暮らして
「信州医療センターに着任して10年が経とうとしています。今は、いつでも出産に対応できるよう病院に近い場所に住んでいます。車で出掛けることもありますが、町なかなので車が無くても仕事や買い物で不便はありません。町を歩いていると古民家をリノベーションしたレストランや喫茶店があったりしてとても良い雰囲気です。仕事を終えた後は百々川緑地公園周辺をランニングしてリフレッシュしています。患者さんから見かけたよと言われることもあります」

●充実した出産体制づくりに取り組んでいます
「現在、信州医療センターでは産科医師3人(男性2人、女性1人)が出産に対応しています。この他にも婦人科や小児科の医師も加わりチーム一丸となって連携し産前産後のフォローを行っています。今、全国的に医師不足が叫ばれていますが、信州医療センターでも2016年から1年半ほど分娩の取り扱いを休止していた時期がありました。現在は新しい施設整備や医師の増員により充実した体制づくりに取り組んでいます」
信州医療センターの産科は、地域住民はもちろん里帰り出産を希望する妊婦さんにとっても安心して妊娠・出産・育児支援のサポートが受けられる大切な場所となっています。





●安心して出産ができるよう病室をリニューアル!
2018年秋、個室や2人部屋が新しく増え、お洒落なソファーが設置されるなど病室が大きくリニューアルされました。授乳室も移動してゆったりしたスペースが確保されています。
「安心して出産ができるよう、そして産後も頼られる場所となるよう、特にアフターケアの部分を充実させています。出産後、周囲の協力が得られないことで産後うつが増えているのも事実です。産後の体の回復に必要なリハビリや授乳のアドバイスが受けられる産後ケア事業は、今後カウンセラーを採用して育児指導の場を提供していくことも考えています」
「母乳外来は国際認定ラクテーション・コンサルタントの専門資格を持った助産師2人が産後から卒乳まで相談に応じ、お母さんが母乳育児に自信が持てるようにサポートをしています」 
実際に近隣の病院で出産したお母さんに役立ててもらった例もあるとのこと。産後に同じ境遇の仲間が集まって子育てについて語り合える交流の場を月に一度設ける産後サロンの設置も目標にしているそうです。

*産後ケア事業
https://www.city.suzaka.nagano.jp/contents/item.php?id=5940d82b08b1e


産後の個室

陣痛室

新しくなったソファー


授乳室で産後のお母さんと赤ちゃんに会いました。2人とも地元のお母さんです。このうち一人は、今回で4人目を出産されたとのこと。地元だからこそ安心して出産できたと話してくれました。

~ 出産されたお母さんたちの退院後アンケートより ご紹介 ~
・先生たちのチーム感があってとてもよかったです!
・堀田先生は入院中も毎日様子を聞きにきていただいたり、こちらの思っていることや様子など、しっかり聞き出してくれるので、とても安心していました。
・緊急の帝王切開の手術にも迅速に対応していただき、無事出産でき、本当に感謝しています。ありがとうございました。
・医師、看護師、助産師さんに優しく接して頂き(お腹に赤ちゃんがいる頃から)安心した気持ちで過ごすことができました。
・医師や助産師さんのアドバイスのおかげで落ち着いて臨むことができました。

●今後も充実したサービスを提供する産科を目指します
これまで患者さんと関わってうれしかったエピソードを堀田先生が語ってくれました。
「不妊治療の患者さんが不妊治療により待望の赤ちゃんを授かり、無事に出産を終え、家族ととも退院されるときはうれしい気持ちでいっぱいになります。また最近では妊娠および産後のホルモンバランスの変化により産後うつとなり、子育てがうまくいかない患者さまも少なからずいます。その患者さんたちの支えとなり、産後うつが軽快し、赤ちゃんと楽しく過ごせるようになったなどの声を頂いたときにも、この仕事のやりがいを感じられる瞬間です」

「普段の仕事では、妊婦さんたちに心配や苦しみなど困り事を解決して帰ってもらうことを心がけています。健康で子育てできる環境づくりを大事にしていきたいですし、信州医療センターで子どもを産みたいと思ってもらえるよう、これまで以上に産科医療の体制を整えていきます。それには産婦人科や小児科の医師が皆で関わり、医師たちの結束と連携を最大限に活かしたチーム作りが大切です。私自身も心をこめた医療を提供し、今後も長く信州医療センターで勤めていきたいと希望しています」

●須坂市で出産できる喜び
信州医療センターは総合病院のため、いざという時を考えるとお母さんも赤ちゃんも安心して出産できるのが選ばれる理由です。病院が市の中心部にあることで産前産後のフォローも受けやすく心強いです。
私も名前が変わる前の当時の須坂病院で娘を出産しました。外は4月の桜が満開の時、心細かった私は退院するまで看護師さんたちを頼りに過ごした記憶が懐かしく思い出されます。あれから20数年、今は堀田先生をはじめチームの先生や看護師さんたちが温かく迎えてくれている信州医療センターの産科です。

(須坂市移住・定住アドバイザー 豊田貴子)

長野県立信州医療センター
〒382-8577長野県須坂市大字須坂1332
TEL026-245-1650(代表)
https://shinshumedicalcenter.jp/


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★その他の暮らしサポート情報はこちらをご覧ください

2019/03/05

なぜ須坂市が「蔵の町」としての歴史をたどったか

Permalink 15:34:22, カテゴリ: お知らせ  

~須坂市は歴史と文化が共存する町です~

普段、東京や大阪、愛知などで開催している移住セミナーでは、須坂市が少雨で果樹栽培に適した気候であるなど暮らし環境の部分について発表しています。今回は明治から昭和にかけて製糸業で栄えた須坂市の地形や風土、現在もその姿を残す「蔵の町並み」の歴史的背景をご紹介します。

●3つの地形区(山地・傾斜地・平地)の須坂市
須坂市は市街地を中心に周りを取り囲むように果樹畑が広がるなだらかな扇状地です。市内を走る百々川や松川は酸性の川になります。
なぜ酸性なのでしょうか。それは、川の上流に硫黄や鉄,銅などの鉱山があったからです。江戸時代に開発された鉱山から流れ出る物質が川に入り酸性の河川となりました。この酸性の川も製糸業が発展した要因の一つでもあります。

●江戸時代に始まる製糸業
江戸時代、百々川近郊に桑畑が開発されました。須坂の扇状地形は桑栽培の適地で、風通しの良い千曲川沿岸は特に優れた蚕の卵の生産場所でした。
町では住居兼工場として屋敷内に川を整備し糸を紡ぐ機械の動力として水車が作られました。これも須坂特有の扇状地形が適していたからでした。このことからも須坂の町は製糸業が発展する場所として理に適っていたと言えます。さらに屋敷内を流れる川は酸性だったため水車の劣化を防いだそうです。

●日本初の製糸結社ができた町
当時の須坂市はたくさんの蔵造りの町工場がありました。
明治8年に同業社が集まり結成されたのが東行社です。世界遺産に登録された群馬県の富岡製糸場は国営ですが、須坂の東行社は小さな町工場がたくさん集まって発展した日本初の同業結社でした。それぞれの工場が均一した品質で大量生産をし、横浜経由でアメリカへ輸出されていました。世界の東に向かって生糸を出荷することから東行社と名付けられたというのですから昔の須坂人のセンスにも驚かされます。
いち早く海外に目を向けていた須坂人は商売の勘が優れていたとも言われています。

●今も残る当時の文化
昭和初期に製糸業は衰退しましたが、現在も町中には蔵造りの建物が多く残っています。屋根瓦の枚数が多いなど、それぞれの家が製糸業で発展し裕福であったことを物語っています。
現在の銀座通りは「蔵の町」として当時の文化に触れることができる観光名所となっています。町中の細い路地も当時のままで、迷路の町として今では観光客が訪れています。須坂市は歴史と文化が共存する町並みを味わいながら暮らすことができます。

●終わりに
今回、どうして須坂が蔵の町と呼ばれているかをまとめたことで、自分が生まれ育った場所に改めて誇りを持つことができました。当時須坂市に暮らしていた人々がどんな未来を描いていたのか、今すぐにでも聞いてみたくなりました。深く歴史を知ることで、さらに住む場所としての須坂市を皆さんにご案内し、納得できる移住につながることができれば幸せです。

(須坂市移住・定住アドバイザー 豊田貴子)

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