「米子山山論内済絵図」に見る発見-四阿山信仰(もんじょ紹介№20亀倉町区有文書から)
米子瀑布群は2016年(平成28)10月3日に国の史跡名勝天然記念物に指定され、本年は10周年を迎えます。選定理由として、その景観のほかに文化的・歴史的要素として次のような事項が評価されての指定となっています。
「米子瀑布群,とりわけ権現滝及び不動滝は,近世中期までは信仰の対象として捉えられ,近世後期以降はそこに景勝地としての評価を付加しつつ,現在までその姿を伝える。」
ご紹介する絵図は文化元子年(1804)5月作成絵図の写しで、亀倉町が所蔵しています。
「右はこの度山境論熟談内済仕則論所、境引き相定め絵図面・・・」を昭和25年12月23日に、亀倉惣代玉井永好と米子惣代竹前滋が、「此絵図面は写にて双方所持するものなり」と両人が押印しています。
この絵図で興味を引くのは、米子不動尊奥の院にお堂らしい建物が三つ描かれ、その建物の上部に上から「不動堂」、「四阿里社」、「千手堂」の三堂社が記入されていることです。現在の奥の院は文化7年(1810)の再建とされているので、それ以前の建物と堂社の名称となります。不動堂は不動尊を祀り、唯一現在に引き継がれています。四阿里社は四阿山頂に祀られる白山社の里宮にあたります。千手堂は千手観世音を祀る堂とみられます。四阿里社が明記される図であることで、市川(百々川)の源流米子川の最奥に白山信仰が確かめられた史料で、新発見といえる図面です。
もんじょ紹介の一部を抜粋しています。全文をご覧になりたい方は文書館で閲覧・購入(一部100円)していただけます。
【絵図】



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文書館では須坂市(旧須坂藩域を含む)に関係する歴史資料の散逸・滅失防止を図り、地域の歴史を掘り起こし、研究に資するため、市民共通の財産である須坂市や関係する古文書などの収集・整理・保存・活用を行なっています。
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用水の汚れに苦しんだ沼目区(もんじょ紹介№12沼目町区有文書から)
北ノ沢用水(米子川の分流)のうち、町用水の流末に位置する日野村沼目区は、水利権を持つこの用水を飲料水と水田用水に利用してきました。
江戸時代にあっては、須坂藩から「用水に塵芥(ちりあくた)を流してはいけない」と厳しく命ぜられていたため支障はなかった。明治時代に入って製糸業が発達してくると、明治20年(1889)に製糸用水を町用水から新たに簡易水道に替えた。それ以来、(須坂町では)生活用水や水田用水として大事に扱われなくなり、町用水が次第に下水道のように見なされ、製糸工場や副産物処理工場から密かに汚水が流され、町民の生活排水ばかりか汚物まで捨てられる状態になってきた。そのため汚れが年を追ってひどくなり、飲料水に使えないだけでなく、水田用水にも用をなさない状態になった。
大正14年11月、日野村長、沼目区長らが陳情書をもってその惨状を須坂町長に訴えた。その中で「右ノ如キ危険ト不安トヲ救フベク、幾多ノ方途ヲ講ジ、或ハ井戸ヲ掘削シ、或ハ他ノ川流ヲ求ムル等、区民必死ノ努力ヲナスト雖モ、未ダ好成績ヲ得ルモノヲ発見セザルナリ」と述べ、もはやここに至っては、須坂町民各位の公徳心の充分なる自覚しか良策は思いつかないと断言している。
その後6年を経過して昭和6年(1931)に種々調査の結果、同村大字塩川地籍に水源地を発見、新たに用水を利用できる目途がついた。しかし、水源地取得、工事等に要する経費約4000円は、沼目区60戸では到底負担できない金額であったので、過半の援助を須坂町に願い出た。当時は世界恐慌下にあって製糸工場の倒産、休業が相次ぐ時であったが、同年1月の須坂町長宛の請願書には「財界稀有ノ不況ニ際シ甚ダ恐入候ヘ共、此悲惨ナル事情ヲご賢察ノ上御援助ヲ賜リタイ」と記されている。
もう一方で、同年4月に町内の製糸業関係の工場にも同趣旨の懇願書が送られ、製糸工場1社、屑糸・蛹油工場5社、他2社から計140円の寄付金が届けられた。
【陳情書】




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市民会館建設の要望(公民館だよりから)
須坂町公民館は昭和22年6月17日に町役場内に開館し、翌年には立町の旧社会会館(現須高医師会館の場所)に移転しました。公民館はじめ様々な市民団体の活動が活発になるにつれ、活動拠点となる市民会館建設要望について「第8号公民館だより(昭和32年12月20日発行)」からご紹介します。
市民会館建設要望に関する経過は
1 公民館活動が活発になるにつれ、施設の狭隘化により活動に支障が生じ、公民館運営審議会で大きな話題となる。
2 そのため、新たな公民館建設に向け「公民館新築準備委員会」を設置して検討を進める中で、公民館、図書館、労働会館、婦人会館、青年会館、医師会事務所を含めた幅広く社会教教育センターとして大市民会館を建設すべきという要望が出され、組織を「須坂市市民会館建設促進委員会」とし、委員長には公民館長の清水弥平が就いた。
3 委員会に資金部会、建設部会、庶務部会を置き、資金部会では市民から1500万円の募金を集めることとした。
と紹介されていますが、実際に募金が行われたのか、いくら集まり、どのように使われたのかは不明です。
終戦後、食糧事情も悪く、国民の生活が大変な中、新学制の実施による小中学校施設の整備や、合併による交通網整理や水道整備などが優先されていたこと。また、昭和34年35年と相続いた台風被害の影響もあり、市民会館が建設されるのは昭和37年(1962)のことでした。しかし、ここには公民館など入ることはなく、昭和39年に市庁舎が現在地に新築移転したことにより、現在生涯学習センターとなっている旧市庁舎を昭和40年に改修して移転することになりました。
【市民会館建設構想図】

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牧智家文書から「製糸事業者による私設水道整備」
須坂における上水道整備は明治20年(1894)に東行社と俊明社が費用を出し、私設の簡易水道を整備し、その後明治27年(1894)に須坂町に移管され現在に至っています。
東行社と俊明社が私設水道を整備した経緯は、当時須坂町では市川(現百々川)の水を飲用および製糸に利用していましたが、県の分析により「有害物質を含む不良(鉱毒水)」と確認されました。これにより、水質の不良は生糸の品質を下げ販売価格に大きな影響を及ぼしていることと、明治10年代に猛威を振るったコレラの蔓延に関係があると考えられました。このようなことから両社は豊丘村大日向地籍に水源を求め、「須坂町水利工業」を設立し、簡易水道を整備しました。
須坂町内の東行社、俊明社加盟の製糸工場を中心に配水するもので、6工区に分けて発注しています。配水管は土管を使用し、長野町の工場から町内までは牛馬或いは人力により運搬したようです。人力による場合、人員の確保が難しかったのか、費用の関係からか当時長野町にあった長野監獄から囚人を有料で借り受け、土管やレンガの運搬などに従事させていました。囚徒一人当たりの借用料について,史料からは明確ではありませんが500人の借用で80円を支払っていたとすると、一人一日あたり16銭になります。看守も随行したでしょうからもっと少なくなりますが。当時の物価から1円は現在の3,800円程度とすると1日608円となります。また、当時の賃金から1円は現在の30,000円とすれば1日4,800円となります。
簡易水道整備には 資金繰りが苦しかったようで、借り上げ料の前払い金を支払わないと囚徒を引き上げるといった通知も見られます。
【用水分析願】

用水分析願
上高井郡須坂町
当須坂町飲用水の義、数多(あまた)不良質を帯び
衛生上最も有害の水質にして殊に方今本県下
有名の物産たる生糸製造にも又不適当にこれ有るを
以って本郡園里村の内大日向組より今般更に
引水、此飲用及び製糸用に供し度候間、何卒分析
お掛り官ご派出の上分析と成し下され度、此の段奉上願候也
同郡同町勧業諮問会員
願人 牧茂助
明治19年11月4日
須坂町外四ケ村戸長 中澤吉四郎
【囚徒拝借願】

囚人拝借願
一 囚人五十名 但し十日間
右は長野及び中野御所より煉瓦
並びに土管運送に付き拝借仕り度此の段
奉追願候也
明治二十年七月二十七日
牧茂助
浦野権之助
長野県典獄長野範亮殿
【領収書】


【工区間距離】
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るため、現住所地の自治体に転出届を提出し転出証明書の公布を受け、新たな住所地の自治体に転入届と転出証明書を提出します。マイナンバーカードがあると、転出届はマイナポータルでできるようになっているため、転出先の自治体へ行くだけで済みます。
江戸時代(明治4年4月戸籍法制定まで)は、居住する村の名主(名称は藩などにより違う)が、移動先の名主に、誰が、何のためにそちらに引っ越し、宗門・旦那寺などを記した「村送り一札」を送付し、移動先の名主は「引取一札」を送り返していました(それぞれ文書名はほかにもあり)。
なお、現在は居住地を公証する「住民登録」と、身分事項を公証する「戸籍」が別になっていますが、江戸時代はその分けはなく「宗門人別改帳」に」よっていました。
今回ご紹介する資料は、婚姻に関する「村送り一札」と「引取一札」ですが、相杜神社にはこうした文書が約70通残されています。
なお、「須高第101号」では、様々な理由による村送り一札について説明していますのでご覧ください。
【村送り一札】

(読み下し文)
送り一札の事
一 浄土真宗別府村称念寺旦那 高井野村作五郎娘美乃 午二十五才
右の者この度勝手を以ってその村方へ弥蔵方へ縁付き、罷り越し度に付き、村送り願い出で候間、その意に任せ送り差出し申し候。依っては、この方宗門人別相除き候間、然る上はその御村方宗門人別へ御加え入れ成らるべく候。後日のため送り一札依って件のごとし。
弘化三午年四月
高井野村名主 弥五右衛門
相森村 御名主衆中
【引取一札】

(読み下し文)
引取り一札の事
小河原村浄土宗大乗寺旦那、その御村方藤作妹当卯二十七才はん義、この度勝手を以って松代肴町浄土宗西念寺旦那、当村七郎右衛門女房に縁付き引っ越し参り候に付き、村送りならびに寺切状共両通遣わされ、慥かに受け取り申し候。これに依り当村宗門人別帳面へ載帳相願い候間、その御村方宗門人別御帳面御除き成され候。後日のため引取り一札依って件のごとし。
慶応三卯年二月
松代領分東條村名主 泉左衛門
須坂御領相森村名主 源七殿
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