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2024/07/18

2024「須坂に残る戦時資料」展 開催します

16:48:30, カテゴリ:  

2024「須坂に残る戦時資料」展
-ポスター・絵葉書・写真類と著名画家たち-

須坂市文書館では、2022年から「須坂市に残る時争資料」展として、市民からご寄贈いただいた日中戦争前後に戦意高揚・戦費調達などのために国策宣伝として作成・発行されたポスター及び『寫眞週報』(グラビア誌)などの展示を行ってきました。
ポスターなどの原画制作には好むと好まざるとに関わらず、多くの画家たちが関わっていました。題材も戦闘場面、兵士、戦艦などを描いたものから、出征した父が不在の家族像を描いた「銃後」の作品、国威を示唆する富士山などを描いたものもあります。
本年は、こうした様々な意味合いで描かれたものの内、横山大観や竹内栖鳳など著名な画家を中心に、ポスターの原画制作で名を挙げた図案家の作品を展示します。
また、画家たちの絵画は大画面で広く周知を図るポスターだけでなく、絵葉書にもなり戦費調達に貢献しました。そうした絵葉書と、当時の世相を表すチラシ類も展示します。

1 会  期: 7月19日(金)~9月8日(日)
2 開館時間: 9時~17時(旧上高井郡役所の開館時間とは異なります。)
3 会  場: 文書館展示室(旧上高井郡役所内)
4 観覧料: 無料

【横山大観 「国民精神総動員」】
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【竹内栖鳳 「国民精神総動員」】
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【藤田嗣治】
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【川端龍子】
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2024/07/10

信州須坂町並みの会「町並みかわら版創刊号」

09:21:14, カテゴリ:  

信州須坂町並みの会「町並みかわら版創刊号」(信州須坂町並みの会文書から)

(展示紹介)
文書館では、2024年5月17日文化審議会が「須坂市須坂伝統的建造物群保存地区」を重要伝統的建造物群保存地区に選定することを文部科学大臣に答申したことを記念して、当市において町並み景観の保存に先導的に取り組んできた「信州須坂町並みの会」の活動などを同会から寄贈を受けた文書・写真により7月15日まで展示しています。
町並みの会では広報紙「町並みかわら版」を随時発行していましたが、今回は創刊号(1987年1月発行)から設立総会で記念講演をされた市川健夫氏と宮本忠長氏の講演主旨(須坂新聞提供)を抜粋してご紹介します。

【町並みかわら版】
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■市川健夫氏「全国有数土蔵の町須坂」
〇町並みは都市やマチの顔であり、その風格を示すものである。明治以降生糸の町として発展した須坂は、アメリカ市場と直接つながっていた国際都市であり、そこに蓄積された富が美しい町並みを形成させた。
〇経済の高度成長を通じて、衣食住などの画一化が進んだ。この結果、日本のどの都市を訪ねても、風情のない町並みとなり、潤いが感じられないものが多くなった。
〇都市景観の整備は、単に町家の建物群ばかりでなく、街路樹や広告、都市公園を含めたものでなければならない。
〇臥竜公園や土蔵造りの町並みなど、須坂市では先人の遺した偉大な遺産を生かした町づくりを進めていくことが望まれるのである。

■宮本忠長氏「須坂市の町屋の特色」
〇須坂の大壁づくりの町屋を見て回った。課題はどうやって活力を与えるかだ。町が豊かになるには地場産業などを集約する必要がある。須坂ぐらいの規模は難しい。
〇保存というとすぐ博物館だ。家は風雨にあたる生活があって末代まで残る。郷土愛がなければ芽生えてこないし、根付いて活力にならない。野ざらしのまま建物を生かすことが保存だ。不便さはあろうが、後世のためにも残したい。不便さを出しつつ改善・改良をしていくことで、町並みがつくられてきたし、これからの町づくりになる。
〇牧家などの大壁造りの町屋は須坂の風土だからで、飯山ではムリ。個人の財産ではなく町の財産ともいえる。マユ倉庫も積極的に演出し、活力あるものにしたい。横町の小林家などは、店が街道に面した平入り、母屋が直角に棟をなし破風を見せ、須坂の町屋の典型である。本町通りは連続的町屋が通り門でつながり、奥行きと人の温かさを感じさせる効果を持っている。多くの町屋のスカイラインが美しい。新町などは平入と妻入りの棟が不連続をなし、暁のシルエットがきれいな街並みである。櫓のあるお茶屋、薬屋さんなど町の顔である。小田切家の門構えも町の顔で気張っているより、和やかに語りかけている。

※展示は次のとおり行っています。
会  場:須坂市文書館展示室(旧上高井郡役所内)
会  期: 7月15日(月・祝)まで(土・日曜日、祝日も観覧可)
開館時間:午前9時~午後5時 
観覧料:無料
お問合せ:須坂市文書館(026-285-9041・平日のみ)

◆須坂市では、答申を記念して以下のとおりシンポジウムを開催します。
1 日時 2024年7月28日(日)13:00~16:30
2 会場 生涯学習センター3階ホール(常磐町)
3 内容
 (1) 基調講演
  ① 『保存地区のこれまでとこれから』 西村 幸夫氏
  ② 『保存地区の特徴と価値』 土本 俊和氏
 (2) パネルディスカッション
詳しくは須坂市ホームページをご覧ください。
https://www.city.suzaka.nagano.jp/kanko_bunka_sports/bunka_rekishi/9/5303.html

2024/06/26

千曲川を渡る

11:40:28, カテゴリ:  

千曲川を渡る(相之島町区有文書から)

現在、長野市と須坂市の間の千曲川には「村山橋」「屋島橋」の2本の永久橋がかかりますが、明治期には3本のルートがありました。今回ご紹介する文書は、相之島と長沼を結ぶ渡船に関する文書です。
これらの文書からは、江戸から明治期に渡船業務の営業権が個人にあっても、その業務の公共性をわきまえ、安全円滑な運航に努めていたことがわかります。

【明治44年豊洲村地図】
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【渡船業務譲渡証】
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千曲川の渡船業務について、明治15年1月31日上水内郡長沼大町(現長野市長沼)の金井庄吉と金井勇治郎から、相之島村の中島茂作と小日向助作にその業務を譲渡されたことを証明する文書です。
1 渡船業務は昔から長沼大町が携わってきたこと。
2 今般相之島の両人が雇い人(船頭)の便宜を図り、機械運転による渡船業務をするとのことで示談が行き届き譲り渡すこと。
3 洪水等により川瀬が変換し渡船場の位置を変更する必要が生じた場合は、その地籍役場(相之島役場)と協議して随意変更されても何ら異議は申さないこと。
なお、この渡船業務状の内容に相違ないことを長沼大町戸長が保証しています。

【渡船営業引受確書】
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明治15年2月31日、千曲川通長沼渡船場の船守(船主)から営業業務を譲り受けた相之島村の中島茂作と小日向助作は次のような確約書を長沼大町の旧栗田町宛に差し出しています。
1 長沼渡船場が在昔以来、往来の衆人通路に差支えのないよう渡船業務を営んでこられたことをわきまえ、今後とも事故や停滞のないよう心して渡船業務を進めること。
2 そのためこの度は「新発明器械」を導入し、公人私人の通行に差支えの無いように努めること。
 なお、川瀬が変わり当器械使用に不便が生じた場合には、従来の渡船方式を用いるが、決して通行人は勿論、これまでの営業者にも迷惑をかけないように努める。
3 また、機械弁理のための普請などでは、長沼側岸を損ずることのないよう十分注意して工事をする。
【新発明機械】
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長沼船頭の渡し船時代は、櫓をこいで千曲川を横切り、船頭の苦労は大変でした。
明治15年、相之島の中島茂作らが渡船業務を譲り受けてからは「新発明の機械」が登場します。
渡船業務引受確書の文面及び1983年まで運行された飯山市七ケ巻の渡船、小布施百話に見る渡船の仕組みから当時の「新発明の機械」が想像されます。

【約定証券】
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渡船業務権の譲渡を受けた14か月後の明治16年3月、中島茂作は長沼大町の林清作(長沼村第2代村長)と船橋起業を請負い、その約定書をそれぞれの戸長役場へ差し出しています。

1 洪水などにより川瀬が変替(へんが)となり船橋位置の移動を要する時には、長沼と相之島両戸長に申し出、その指示に従うこと。
2 馬や籠などにはよらず、歩いて渉るものは無料とすること。
3 各自用物を持ち運ぶものはすべて無料とする。ただし大持ち物では気持ち程度の寸志を貰い、額の多少は問わないこと。
4 商用荷や駄賃稼ぎの荷物は、荷主の自他に関わらず橋銭を受け取る。
5 出水の節、当番が危険と判断し通行止めの措置を取った場合には、なるべく荷物にゆとりをもって運ぶようにされたい。
これらの約定について違背があったら、当日の会所番は如何様の督責もお受けします。

2024/06/19

文書館収集史料展示「信州須坂街並みの会文書から」

15:20:03, カテゴリ:  

信州須坂町並みの会は1986年(昭和61)11月24日、須坂市公民館(現生涯学習センター)において約130名が参加して設立されました。
同会は須坂市における町並み景観保存活動を先導し、市も会の活動に呼応し歴史的に貴重な建物を保存する施策を展開し、今日の重要伝統的建造物群選定に向けた文化審議会の答申に至っています。
須坂市文書館では、町並みの会が発行してきた「町並み通信」、「町並み景観賞」関係資料や行ってきたイベントの写真など多数の史料を、2020年から3回に分けて寄贈を受けています。
 今回、答申を受けたことを記念して同会が取り組んできた活動の一端を示す史料を以下のとおり展示します。

会 期:2024年6月20日(木)~7月15日(月・祝)(土・日曜日及び祝日も観覧可)
会 場:須坂市文書館展示室(旧上高井郡役所内)
開 館:9:00~17:00
観覧料:無料
主な展示史料
・町並み通信、町並み景観賞、町並みフェスタ、全国町並み大会、古い町並み写真

2024/06/12

日滝原への出作り農民

10:44:59, カテゴリ:  

日滝原への出作り農民(日滝史蹟保存会文書から)

江戸時代、須坂藩領であった日滝原は松川扇状地扇央部にあり、耕土が薄く水に恵まれない干害(旱魃)の常襲地で、農地には適さない土地でした。それでもわずかな収穫を求めて農民たちは開墾開拓に汗を流しました。今回ご紹介する文書は日滝原へ出作り(他領から耕作に来る)をしていた奥山田村、中山田村、牧村(共に幕府領)の農民たちが年貢等の軽減を須坂藩役所へ願い出たものです。
本文書を所蔵する(一社)日滝史蹟保存会は、本郷町在住で入会を希望する方で構成され、地域内の史跡の保存、史料蒐集及び研究などを行っています。同会文書は、本郷町のみならず、広く旧日滝村に関する文書が収蔵されています。

【039-A1-28】
039A1-28-1
039A1-28-2

【読下し文】
恐れながら書付けを以て願上げ奉り候おん事
一 拙者ども村方の儀高山麗薄地の村方ゆえ大麦、大豆等決して作られも申さず、これに依りご領分日滝村・大谷村・高橋村右3か村分へ越石仕り、お年貢お役等相勤め渡世仕り候。左の村々より手入れ最寄り場にてご座候ゆえ、古来より右の畑方相続仕り候。別けてご領分の内にても右原の義は石原薄地旱魃場にて三か年に二年は半毛の損毛多くご座そうらえども、これまで御訴所申し上げ候事これ無く候。然る所に当春中より雨継ぎ不順にて麦作とても半毛の損毛及び難儀に候。そのうえ当六月中旬の頃より度々大風は吹き散らし、日々に照り増し諸作生い立ち申さず少々これ有り候大豆、ささげ等残らず立ち枯れに罷り成り、迷惑至極仕り候。尤も世の中一統の旱損定めてご領分の村々よりも日々にご注進等これ有るべく処、分けて拙者どもお願い申し上ぐに及ばず候えども、何十年にも伝え聞かざる大変ゆえ、お年貢の義格別当時飢え及び身命を送るべき力も無き難儀の余り、先だってご注進も仕るべく所に他のご領分ゆえ恐れ多く見合わせ指し控え罷りあり候。然る所昨十九日の朝少々雨降り申し候らえども、一向立ち帰り申すべくは之なく、種を失う大難無是悲お願い申し上げ候。お慈悲にお年貢弁納に成らぬように おん上様へ 仰せ上げられ下し置かれ候ように願い奉り候おん事。
一 前々より去る未年までお値段の儀、世の中市相場等によらず高値に仰せ付けられ候えども、ご領一統の儀にご座候ゆえ、よんどころ無くお請け仕り候。これらの義お願い申し上げたく村々出作り多く、この百姓ども年久敷く心がけ罷りあり候えども、これまで延引に及び候。当年旱損(かんそん)皆無の上右の例を以って仰せ付けられ候ては一向お年貢ご上納も難しく成り候。然りながらご定法をもって仰せ付けられ候事是悲に及ばず候。左もご座そうらわば、とてものお慈悲に酒屋・穀屋などへのお払い値段同様に願上げ奉り候おん事。
一 ご領分相森分へご納所の義 ご公儀様ご勘弁をもって二ツ五分、三ツ五分等のご定免にて諸掛り物ご赦免成し下され候ところ、近年先納ご用金等年々仰せ付けられ難儀仕り候。ご用金等仰せ付けられ候義にご座そうらわば、相森お百姓同様に成し下され候ようにお願い申し上げ候、以上。
右の趣聞きなされ、右分願いの通りご考弁の上、ひとえにご慈悲仰ぎ奉り候、以上。
 明和元年申の八月日
   高井郡奥山田村
     出作百姓惣代 文右衛門
               長右衛門
   同郡中山田村
     右同断 庄兵衛
       〃  利左衛門
   同郡牧村
     右同断 茂左衛門
       〃  利左衛門
       〃  清三郎
       〃  与兵衛
須坂 御役所

【解説】
私共(奥山田・中山田・牧)村は、高い山麗のやせ地で麦や大豆もできないので、(須坂藩)ご領の本郷、大谷、高橋へ昔から出作りをしていますが、ここも土地が悪く日照りで三年に二年は半分も収穫はありません。それでも我慢してきましたが、今年は春から雨不足で麦も半作、その上六月中旬ごろより大風が度々吹き荒れ、日照りがひどくなり僅かに生き残っていた大豆やささげも立ち枯れてしまいました。何十年にも聞かない大旱損で、これでは来年の種さえ取れず、飢え死にしてしまいます。どうかお年貢は勘弁願います。
一前々より年貢は高値でしたが、これは領内一統のことですので出作り百姓も我慢してきましたが、今年のような収穫皆無の年には、ご慈悲をもってせめて藩から酒屋や穀屋などへ払下げになるほどの(安い)値段でお願いします。
一 須坂ご領分の相森分については、ご公儀(幕府・代官)様から年貢は二割五分とか三割五分の負担で、その他は御免とされていたのに、近頃は先納金(献金)を仰せ付けられて難儀しています。ご用金等仰せ付けの場合は相森のお百姓並にお願いします。
右の願い事をよくよくお考えの上、お慈悲を仰ぎ奉ります

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