もんじょ紹介№23吉池一彦家文書から
「越後から出稼ぎ」
小河原町の吉池一彦家は松代藩領小河原村で代々名主など村役人を務めた家で、江戸期を中心に多くの古文書が残されています。
今回ご紹介する史料は、二通とも越後国頚城郡武士村(もののふむら・現在は新潟県中頸城郡清里村)の屋根葺き吉兵衛と三左衛門の出稼ぎに関し身元証明の文書です。万一の場合には、その村(小河原村)の作法に従うとあります。出稼ぎであるから「腰札(人夫、職人などに腰に下げさせた鑑札)」が必要とわかります。また、武士村庄屋 平田助右衛門は名字を名乗ることを許された家格であったこともわかります。なお、妙土寺は現在も同地に残ります。
【寺送り状】
【寺送り一札】
寺送り一札の事
越後国頚城郡武士郷武士村
屋根ふき 吉兵衛
右同断 三左衛門
右の者ども宗旨の儀は代々浄土宗にて、拙寺旦那に紛れ御座無く候。もし御法度の宗門と申す者御座候はば、拙僧何国までも罷り出できっと申し訳仕るべく候。万一右の者ども病死等仕り候はば、其の御村方のご作法にお取り計らい下さるべく候。その節拙寺に於いて申し分御座無く候。後日のため送り一札よって件のごとし。
越後国頚城郡武士郷武士村 妙土寺
文政5午年2月
信濃国高井郡小河原村 御名主中
【送り一札】
送り一札の事
越後国頚城郡武士郷武士村
屋根ふき 吉兵衛
右同断 同 三左衛門
右の者ども勝手をもって其の御国元へ罷り越し、屋根ふき稼ぎ仕りたき段願い候に付き、身元とくと相改め候ところ、何にても故障の義御座無く候間、願いに任せ送り書き付け差し出し申し候。然る上はお気遣いなく、腰札お願い申されるべく候。万一不埒の儀も出来(しゅったい)仕り候はば、其の御村方のご作法にお取り計らい下さるべく候。その節此の方何にても申し分御座無く候。後日のため送り一札よって件のごとし。
同村 庄屋 平田助右衛門
文政5午年2月
信濃国高井郡小河原村 御役人中