もんじょ紹介№21市川幸夫家文書から
収蔵書籍「神武天皇即位紀元二千五百三十三年 明治六年太陽暦」
11月9日は太陽暦採用記念日です。これは旧暦の明治5年11月9日に、12月3日を明治6年1月1日とするという「改暦の布告」が出されたことによるもので、今年で150年を迎えます。
今回は太陽暦が採用されて初めて発行された暦を市川幸夫家文書からご紹介します。
旧暦(太陰暦) | 新暦(太陽暦) | 備考 |
明治5年11月9日 | 12月9日 | 改暦の布告 |
明治5年11月10日 | 12月10日 | |
明治5年11月11日 | 12月11日 | |
… | … | |
明治5年11月29日 | 12月29日 | |
明治5年12月1日 | 12月30日 | |
2月17日 | 太政官へ恭之進養子願書提出する | |
明治5年12月2日 | 12月31日 | |
明治6年1月1日 | 新暦の施行 | |
明治6年1月2日 |
明治5年(1872)11月9日、明治新政府は翌6年閏6月分の支出増や欧米各国との外交・貿易上の不利に対する解決策として、新暦(太陽暦)を採用することを決定し発表しました(太政官布告第337号)。太陰太陽暦(天保暦)は庶民に広く普及しており「十二月三日をもって明治六年一月一日とする」という発表はあまりにも急であったため、12月の売掛金決算間近の商家はもちろん庶民生活にも大きな影響を及ぼし、戸惑いが広がりました。
また、既に旧暦の「明治六年暦」が頒布されており、「明治六年太陽暦」は庶民には敬遠されました。そのため私製の暦(「お化け暦」などと呼ばれた)なども売られました。
新しい「明治六年太陽暦」を一地方の金田新作が購入所有していたのは、灰野村で重要な立場でもあったでしょうが、明治維新政府による地方行政施策に対する強い関心も見て取れます。
【神武天皇即位紀元二千五百三十三年 明治六年太陽暦】