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投稿の詳細: 天領と松代藩領の混在

2023/09/27

天領と松代藩領の混在

13:19:48, カテゴリ:  

もんじょ紹介№3から
「天領と松代藩領の混在」(相之島町区有文書)

江戸時代、当時の相之嶋村を治めていたのは松代藩と幕府でした。相之嶋村の一部は松代領として松代藩に年貢を納め、一部は御領(天領)として幕府に年貢を納めるようになっていました。
このような支配形態をとっている場合、〇〇地区は松代藩、□□地区は御領というように、村内を地区に分けて支配していると思われがちですが、相之島町に残されている区有文書「安永7年(1778)検地地図(全19枚)」を見てびっくりしました。同じ地区でも田畑一筆ごとに松代藩領と御領が入り混じっているのです。
下の絵図はその時の「字四人取」地籍のものです。字、耕作者、田畑の位付け、反別が書き込まれている田畑が御領で、黄色で表されているのが松代藩領です。御領と松代藩領が入り混じっているのがわかります。絵図の説明書きにあるように、松代藩領(真田伊豆守様御領所)は黄色く塗られ、何も記載がないのは、幕府が自分の領地だけを検地したためです。
絵図の最後には「村役人地主立会、一筆限り内改め仕り、地引絵図差し上げ奉り候通り相違御座無く候、以上」という文を添え、村三役人が署名・押印して御検地奉行に提出しています。

【字四人取】
azakirizu

【提出絵図】

なお、御領と松代藩領の割合ですが、天保7年(1836)で
御領所:796石5斗7升9合
松代藩領:163石7斗3升6合
御領所の方が約5倍広い範囲に渡って相之嶋村を支配していました。

また、天保7年より15年前の文政4年(1821)には、幕府は相之嶋村の御領を松代藩に預けます。このように幕府が御領を大名・旗本などに委託支配させたところを「御領所」と言います。幕府の御領所を預かることは藩にとって名誉であり、預り料が支給されました。
以後「真田伊豆守御領所 相之嶋村」、「真田伊豆守領分 相之嶋村」となり、これは明治になるまで続きます。