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投稿の詳細: 櫻樹植栽

2023/04/05

櫻樹植栽

16:37:27, カテゴリ:  

もんじょ紹介№8 村山町区有文書から
「櫻樹植栽」

今年の桜の開花は全国的に観測史上最速の状況で、臥竜公園の桜も3月29日と、例年より約2週間ほど早い開花となりました。須坂の桜名所・名木というと、須坂市商業観光課と須坂市観光協会が作成する「さくらMAP」には36か所・本が紹介されています。
(さくらmap)
https://www.city.suzaka.nagano.jp/contents/item.php?id=59645bcfe43e5
ここで紹介されている「村山権現さんのソメイヨシノ」は村山橋からもよく見え、開花時期には村山橋、長野電鉄の電車北アルプスの雪形などと相まって絶好のお花見スポットとなっています。
権現さんのさくら

この桜は、千曲川及び百々川堤防改修、村山橋の完成に沸く地域の人たちが昭和天皇即位記念もかねて植樹したものですが、村山町区有文書から、植栽当時の人々の思いを感じられる文書を紹介します。

共鳴会員名簿表紙

保勝会設立趣意書

【読み下し文】
村山保勝会設立趣意書
西に仏都の長野あり。東に製糸工業の須坂あり。遥に四圍(しい)は嵯峨(さが)たる山また山の四季の彩、さしも名に負う千曲の清流を眼下に、東洋一の稱(たたえ)ある村山橋に佇みて、花の朝、月の夕を偲びなば誰か快哉を呼ばざるべき。
この雄大清楚たる山紫水明の佳境を愛ぜる吾人は啻(ただ)にこれを郷土の誇りとして蔵するのみならず、広く天下に紹介し、高尚闊達なる人生の営養に供せむは、又以って吾人の任務たり。宝庫開扉の発露たらずんばあらず。
されど未だ雅客の杖を曳くに足る文明的施設としては夏季長野電鉄主催に係る納涼会を除いて他に何物も無きを遺憾とす。因りて今回村山保勝会を設立し、核先輩有志の指導後援を相まって、この天恵の郷土風光を宣揚助長し、時代順応の設備と遊覧客の便を計り、組織的風景を利用開発して、もって天下にこれを紹介せむことを欲す。

【昭和3年4月3日  ご大典記念事業  櫻樹栽植誌  村山保勝会】
「櫻樹栽植、村山保勝会設立の趣旨」
植栽日誌1

植栽日誌2

【読み下し文】
須坂長野間の交通さえも馬車人力車をもって最高の機関とし、後に自動車の乗り合いとはなりたるも全く水害の本場、堤の包囲を受けて農蚕に営々たりし僻村の我が村山も百々川改修工事は大正12年に始まり大正14年5月に完成、西千曲川は内務省直属の大改修によりて大正9年秋に始まり大正12年3月、全く住宅に洪水氾乱(氾濫)の憂いなきのみか、大正15年6月28日長野電鉄の開通より長野須坂間は30分ごとの発車、これに伴い全国一の称ある村山橋の架設これ連絡県道の改良工事完成は昭和2年8月24日に渡橋式をもって始まる。同年12県道谷脇街道の切り下げ工事をもって福音3間の理想道となる等交通の利便はほとんど完備の状態となる。
是より先、大正15年8月は千曲の清流を眼のあたりにして長野電鉄主催に係り村山青年会の応援をもって納涼会を催され、日々の遊覧数千をもって数えらる仕掛け花火、長野須坂の芸妓手踊り等実に開闢(かいびゃく)以来の盛況を極め、翌年工事のためわずか3日間の納涼に止まりしも僻村閑村の村山は一期にして天下の勝地たるの資格を得るに至れり。

【解説】
村山区では大正9年に始まった千曲川の内務省堤防工事、12年の百々川改修工事、そして15年の村山鉄橋の電車開通、昭和2年の同鉄橋渡り初めと、村にとっては画期的な大事業が続いた。村の人々の目には各制の進歩と映ったことだろう。大飛躍のチャンス到来である。
加えて迎えた昭和3年の昭和天皇即位の大典である。千曲の清流と日本一の村山橋、そして櫻の記念植樹をもって、僻村村山の付近一帯を理想の一大遊園地帯たらしめようと立ち上がったのが村山保勝会と村山青年会であった。時は昭和3年、村山保勝会と青年会の熱気が伝わってくる。
「櫻樹栽植誌」の昭和3年4月3日は、大由野桜の植樹完了日。4年後の7円ごろよりポツポツ咲き始め10年後には盛りとなるも、昭和17年、戦時の薪炭用として三分の一が刈られ、19年には残りの過半が刈られた。