笠鉾会館の「蚊」騒動から気を取り直して今回こそは須坂祇園祭が行われる芝宮墨坂神社について少し調べてみました
祭神は墨坂神と建御名方命
「墨坂神社」は平安時代にまとめられた当時の政治全般にわたる百科事典のような内容の「延喜式」の「神名帳」に他の信濃の国48座の神名とともに記載されている。これを「延喜式内社」とか「式内社」といって平安時代からある古い神社であるらしい
須坂には同じ「墨坂神社」がもう一つあるどっちがどうといったケースを「論社」というらしい
さて、芝宮墨坂神社の境内は東西約85m、南北約250mと長野県北部では有数の広さで養蚕社や天神社、稲荷社、秋葉社、弥栄社など9社が並んでいる
祇園祭はこの「弥栄社」の祭事で「御祭禮」とか「弥栄祭」ともいう
おなじみの「渡れない太鼓橋」これは神様の渡る橋だからだそうだ
「須坂藩主の崇敬があつかった」藩主堀家の家紋が見える
この鬼瓦いい味出してます
おお亀さん
お社の中にのぼり旗?発見!上についている飾りも笠鉾の意匠と共通しているようだ
芝宮側からみた笠鉾会館(奥)
そして参道には十二支の石灯籠だ
この石灯籠芝宮側から昭和8年、9年…と一対づつ寄進されていたようだだが昭和17年でいったん途切れてる「大東亜戦争」とある
その後は昭和44年
戦争という悲しい時代を「ビビィ!!」と感じる瞬間でした
そういえば「祇園祭も戦時中は中止していた」と何かでみたなぁ
平和な時代になって祭は再興し地域産業の隆盛とともに華やかになりそして今、生活の多様化?などで地域や人々のかかわりが薄れていっている気がする
戦争で何も出来なくなってしまった時代にかわって今は何でもできる時代なのに別の意味で厳しくなってきているとよく聞く
先人たちが残していった伝統を次の世代に引き継がなくてはいけないと感じた瞬間でした
参考文献:須坂の祇園会(須坂市教育委員会)
須坂・中野・飯山の社寺(郷土出版社)
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