坂田町 第二回、天徳寺 を紹介いたします。 往古は井上源氏三郎満定の九男静実が真言宗天徳寺 を創建したのがはじまり、その後、元禄七年 (1694)に 僧常清が残された諸仏を供養して再建し、宝永四年 (1707) 浄念寺の末寺となり、浄土宗に改宗した。尚 境内には 観音堂 (観世音菩薩) 須坂藩4代藩主 堀 直矩公の寄進 弘法太師堂 (弘法太師) 明治年間 村民有志寄進 太子堂 (聖徳太子) 明治28年(1895) 御本尊穀町田中本家 (新十郎氏)寄進がある。
南部地域(七町区)でつくる "南部地域づくり推進委員会"が作成した 資料により 南部地域の歴史散策を紹介しておりますが、北原町編が 終了いたしましたので、坂田町編に移ります。
坂田町 第一回、吉向焼窯跡 を紹介いたします。 藩主 堀直格が藩の財政再建のため 吉向行阿を招聘して、 お庭焼きをした。 その登り窯跡。 沿道の遊歩道には、見事な桜が咲く。
北原町 第九回、馬頭観世音 を紹介いたします。 遠藤家屋敷の南端に天保15年甲辰 (1844)と刻まれた 馬頭観世音がある。 裏側に「遠藤○之建」とある。 名前は一部欠損しているが遠藤守信家のご先祖が建立 のものと思われる。 馬の供養と保護神。
北原町 第八回、庚申塔 を紹介いたします。 小山小学校隣接の墓地にあったものを移転した。 昔は、庚申にまつわる仲間があり、醇風美俗の基調 となっていたが、時代とともに薄らいでいる。
北原町 第七回、駒繋げ石 を紹介いたします。 昭和 6年 秋葉通りが貫通するまでは、小山小学校東側 から北へ貫通する三叉路が北原の西口にあたった。 提灯を付けた荷馬車や人の往来が盛んであったらしい。 石には くり貫き穴があり、馬の手綱を結びつけるのに 使われた。
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