桜とお菓子屋さんめぐり開催いたしました~!!
2024年4月12日(金)天気 快晴
花も団子も楽しむウォークということで、お菓子屋さんをめぐりながら、
途中、
市内森上小学校の桜並木を見て墨坂神社を参拝、
老舗たい焼き屋さんで、たい焼きも食べ百々川沿いの桜を眺めながら、臥竜公園めざしてウォーキング。
須坂市立博物館・館長の案内で博物館も見学。
臥竜公園名物のまっくろおでんも食べてツアー終了。お菓子はレモンケーキにかわいいドーナツ、限定ブッセに桜餅と
もしかしたら花より団子のウォークになったかもです・・・
ご参加いただいた皆様ありがとうございました。
5月12日(日曜日)は母の日です♡
須坂市動物園では、5月11日(土曜日)、12日(日曜日)の二日間
「お母さんありがとうデー」を開催します♪
この2日間は「親子で来園されたお母さんの入園料が無料」となります
こちら年齢制限はありませんので、大人同士でも「親子」であればもちろんお母さんは入園料が無料になります!
また、「義理の親子」でももちろん親子ですので「結婚していて、義理のお母さんと来園した」などの場合も無料ですよ
ぜひ親子で動物園をお楽しみください♪
5/11(土)
モルモットのふれあい 11:00~12:00(10:50整理券配布)
14:00~15:00(13:50整理券配布)13:10 フンボルトペンギンのランチタイム☆
13:20 モルモット母の日ガイド☆
13:30 トカラヤギの命名式 場所:南園休憩所
15:00 カピバラのディナータイム
15:30 トナカイのもぐもぐタイム☆
5/12(日)
※春の臥竜公園写生大会開催のため、12日のイベント開催は14時以降となります。モルモットのふれあい 14:00~15:00(13:50整理券配布)
※本日のモルモットのふれあいは午後のみです。14:30 ツキノワグマのおやつタイム☆
14:50 アライグマのディナータイム
15:00 カピバラのディナータイム
15:10 モルモット母の日ガイド☆
☆マークでは、母の日にちなんだお話が聞けるよ!!
園内には12月に出産をしたモルモットのお母さんと子ども、2月に出産をしたトカラヤギのお母さんと子どもなどの
親子もいますので、ぜひ探してみてくださいね
※トカラヤギ、モルモットともに写真は生まれた頃の写真です。
また、この2日間の動物ガイドでは母の日にちなんだ話が聞けちゃうかも!?
詳しいイベントスケジュールは近日公開予定いたします。
南園休憩所には母の日のフォトスポットが登場予定です♪
※こちらは昨年のものになります。
皆様のご来園お待ちしております
こんにちは
日差しも強くなってきて、すっかり春めいてきましたね!!
アプリコーゼの裏、千曲川沿いの桜も見頃になってきました!!
本日はダナファヌルの定番シャツから新色のご紹介です!!
こんな桜色のシャツでお花見なんて良いですね!!
それではどうぞ!!
ダナファヌル (DANA FANEUIL)
オックスフォードシャツ
オックス生地を使用したシャツ。
首元と袖口にはギャザーが入っています。
裾はラウンドしたデザインで、控えめなAラインのゆったりシルエット。
ボタンにはブランド名がレーザー刻印されています。
スカートにもパンツにも合わせやすいベーシックなアイテムです。
素材 コットン100%
プライス ¥9800 税込¥10780
信州須坂そのさとブルーベリー農園、今朝は寒く畑には霜が
おりました。
豊丘地域公民館入口 桜
ひんのべ祭り
豊丘地区の桜は今にも咲きそうな蕾になりました。
天候にも恵まれそうです、
お出かけください。
もんじょ紹介№19
『立町管公略縁起』と立町天神社
(黒川真家文書から)
天神社は、菅原道真を祭神としており、天満神社や祭神の生前の名前から菅原神社などとなっていることもあり、全国に広く分布しています。
立町天神社は、現在墨坂神社(芝宮)境内にあります。芝宮境内には建御名方命と墨坂神を祀った墨坂神社芝宮本社を中心に、南側に稲荷神社・弥栄社があり、北側には養蚕神社・天神社・西宮神社があります。
今回ご紹介する文書は、嘉永5年(1852)2月「須坂 大宮司」によって出版された、立町天神社の縁起を記した文書です。表題は「管公略縁起」ですが、内題は『立町管公略縁起』となっており、記述されている内容と照合すると、これが本来の表題ということがわかります。わずか6ページの小冊子ですが、序文を須坂藩儒者の小松桐所、本文の執筆は須坂藩家老を務めた平武雄=丸山舎人が書いています。また、九明善が描く見開きの立町天神社絵図も付いています。
『立町管公略縁起』を糸口に、立町天神社が芝宮神社境内に移転するまでをまとめてみましょう。
① 立町天神社は、神仏に崇敬が篤く、大阪加番を12回も勤めた須坂藩4代藩主堀直佑(1655~1721)が、延宝年間(1673~1680)に大阪加番を2回勤めており、筑紫大宰府の社司に請い求めて、神木で新たな真像を刻み、「御舘より西北の隅に安置し祀らば須坂の繁栄たつべき」との霊夢で、領内の墨坂の地、上町辺りに堀家の産土神(うぶすながみ)として神殿を造営して祀った。これが上町天神社であった。(『立町管公略縁起』)
② その後、寺社奉行鳥居伊賀守忠孝の宝暦2年(1752)4月~同年10年(1760)3月に行われた当国一統神社御改めの節、現在の立町260番地(第3分団1部詰所辺り)にあった神明社地に移され、神明社は芝宮に移された。(立町天神棟札)
③ 安永7戌年(1778)4月3日、町内50軒余が焼失する大火災があり、立町天神社も罹災した。ご神像は無事救出され、以降土蔵を仮殿にして神事を執り行ってきた。
④ 寛政元年(1789)春、駒澤貞称らが君命を受け、同年9月、社地の拡張も行い、立町天神社を再建した。(山岸孝爾家文書・芝宮天神社神殿の墨書)
⑤ 寛政2年(1790)と弘化3年(1846)には7日間の御開帳が行われた。
⑥ 嘉永5年(1852)に菅公950年祭が行われた記録があり(『立町管公略縁起』)、近隣からの参詣客で賑わう神社になっていたことが窺える。良寛や一茶も参詣したと伝えられる。
⑦明治35年(1902)5月、菅公1000年祭が立町天満宮において盛大に催された。本殿・拝殿の修理や水屋の新築及び石柱、石垣、玉垣などの造成も行われた。当時の境内敷地は間口10間、奥行き20間あり、十数本の欅や松の大樹が覆う壮厳な宮であった。
⑧ 明治39年(1906)神社統廃合の勅令により、建造物の一切が芝宮境内へ移転した。跡地は都市計画道路屋部線となって、史蹟の名を留めるだけとなった。
以上天神社の変遷をまとめると
① 上町辺りに「上町天神社」として創建される。
② 立町にあった「神明社」地に移される。神明社は芝宮に移される。
③ 安永7年(1778)火災により焼失し、土蔵(場所不明)で祭事が行われる。
④ 寛政1年(1789)立町に社地を広げて再建される。
⑤ 明治39年(1906)芝宮境内(現在地)に移される。
※②の芝宮に移された神明社は、現在稲荷社内に安置されている。(『須高』第10号「立町天満宮について」徳永隆寿氏)
【立町管公略縁起】