今回は、秘密の”抜け道”をご紹介します。
須坂クラシック美術館はもともと、呉服商や製糸業、銀行業を手掛けた
牧新七が建てた店舗兼住宅です。
商人の家ではありますが、万が一の危険に備えて二階から一階、そして外へ逃げるための「抜け道」がつくられています。
二階から見える抜け道。現在はこうして公開されていますが、もともとは隠してあったものと思われます。
突き当りの壁の下は、一階に通じています。
普段は目にすることのない天井裏の立派な梁もご覧いただけます。
見えない部分に、こんなに巨大な木材が使われていることに、驚かされます。
抜け道の出口は・・・というと
縁側づたいに進んだ座敷の裏側にあります。
扉を閉めると、こんな具合に出口を隠せるようになっています。
そして、庭の方へ出ることができるのです。
この建物が建てられたとされる明治初期は、世情が不安定であり、須坂でも「須坂騒動」(明治3年)と呼ばれる一揆が起こり、多くの商家が打ちこわしや焼失にあいました。
この家の正確な建築年は定かではありませんが、これだけ立派な邸宅の主は、
時代の中で生き抜く備えをしていたのではないでしょうか。
クラシック美術館の母屋には、「取次の間」「中の間」「座敷」(仏間)「奥座敷」と
いうお座敷が続いています。
長押には、釘隠しがつけられていますお座敷によって違うモチーフが使われているんですよ。(取次の間にはありません)
矢印が示しているのが「釘かくし」です。
長押と柱やつり束(鴨居や長押がたわまないように上から吊り支えている木材)が交差した部分には大釘を打つのだそうです。その釘の頭を隠すための化粧金具です。
中の間は松です。
接写してみると、細かい描写まで施されているのが分かります。
座敷(仏間)と奥座敷は鶴です。
鶴は長寿の象徴で縁起が良いですね。
鶴と松の組み合わせも、着物などでもよく見られる身近な吉祥文ですね。
近寄って見ると、わっ、迫力・・・
これは、「柏の葉」をかたどっています。新しい葉が出るまで、古い葉が落ちないということから、子孫が途切れなく繁栄していくことを願ったものといわれます。
ほかの釘隠しは一部屋にいくつもつけられていますが、
柏の葉だけは奥座敷のさらに奥のガラス障子の場所につけられています。
しかも、ただ一つだけ。
そこに特別に大切な願いがこめられているように感じられます。
母屋座敷の傍らにずっしりと構える階段。
段の下が物入れになっており、とても便利です。
こんな三角スペースにまで律儀に扉がついています。
ケヤキの材を贅沢につかっています。
一段ごとに、「滑り止め」が彫り出されています。
一枚板の表面をこのためだけに彫りだすというのは、大変贅沢なつくりです。
ここには、鯉の埋め木細工が
木目を水の流れに見立てて”鯉の滝登り”です。
節目やキズを隠すためといわれていますが、縁起もかついで、いいですね!
職人さんのアイディアに感服です。
ぜひ探してみてください。
さらに、表からは目立たない、段の裏部分をご覧ください。
ここには、大きな一枚板が使われているから驚きです。
階段だけでも、こんなに見どころがたくさんあり、日本家屋の奥深さを改めて感じます。
手すりのつけられない階段なので、申し訳ありませんが、滑り止めをしっかりと踏みしめて、くれぐれもお気をつけてお上がりくださいね
建物のみどころをご紹介します。
こちらは縁側です。
廊下の役割だけでなく、ひなたぼっこや夕涼みなどの時間を楽しめる場所でもあります。
旧・牧家の縁側はガラス戸になっています。
歪みや気泡がある昔のガラスで、眺める景色も違って見えるような気がします。
腰板は「無双腰板」といって、
このように、板がスライドして換気ができるようになっているスグレモノです。
この縁側をつたっていくと、お座敷の裏に出ます。
なんとここには、2階からつながる抜け道の出口が!!あるのです。
出口がどんな風になっているかは、お楽しみとしておきましょう。
そして庭へと続きます。ここは奥座敷とつながっていて、
このガラス障子の戸を開いて行き来することができました。
(現在はガラス保護のために締切となっています。)
小さな部分にもぜひご覧いただきたいところがあります。
この素敵な電燈、どこにあると思いますか?
なんと御手洗いの廊下の電燈です。
ちょうどその下には、小さな手洗い場(水道)と飾り棚があります。
飾り棚はさりげなくお花を飾ることができます。
昔の御手洗いに、心遣いとゆとりを感じます。
(実際お使いいただけるお手洗いは洋式・水洗の現代人に優しい仕様です)
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