2015/10/25

全文へのリンク 15:10:25, カテゴリ: 初日カバー, 記念・特殊切手

"第30回 国民体育大会"切手

 

四十年前の今日 (昭和50年10月25日)
"第30回 国民体育大会"切手が発行されました。
第30回国民体育大会秋季大会は10月26日~31日
迄の 6日間 三重県下13市4町2村において
「たくましく あすをひらこう」をテーマに熱戦を広げた
競技種目は陸上競技、蹴球、重量挙げ等28種目
選手、役員等約25,000人の参加
          
国民体育大会記念郵便切手は第2回大会(昭和22年)
以降 毎年発行されている。

重量挙げ競技に競技場を配す
発行日 昭和50年(1975)10月25日
20円郵便切手
グラビア4色 発行枚数 各5,000万枚
原画昨者 山野内 孝夫(図案家)
今年の切手
発行日2015(H27)年8月28日
82円郵便切手 オフセット5色
500万枚(50万シート)
切手デザイナー 丸山 智

開催日 2015.09.26~10.06

1946年(昭和21年)に京阪神で第1回
大会が開催されて以来、都道府県
対抗・各都道府県持ち回りで毎年
開催されている
国民体育大会の70回目の開催を記念
してふるさと切手【第70回 国民体育
大会(和歌山県)】が発行された。
和歌山県で国民体育大会が開かれる
のは 2回目で前大会1971年(S46年)
から44年ぶりの開催となる。
スローガン[躍動と歓喜・そして絆]
マスコットキャラクター[きいちゃん]

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

「第15回 全国障害者スポーツ大会」

開催日 2015.10.24~10.26
①カヌー
②セーリング
③バスケットボール
④ホッケー
⑤自転車
⑥体操
⑦フェンシング
⑧サッカー
⑨なぎなた
⑩バレーボール
余白 (きいちゃん)

2015/10/24

全文へのリンク 15:10:24, カテゴリ: 趣味・日本切手, 初日カバー

"郵便貯金創業100年"切手

 

四十年前の今日 (昭和50年10月24日)
"郵便貯金創業100年"切手が発行されました。
我が国における郵便貯金制度は明治8年5月2日に
創設され東京及び横浜の郵便局において取り扱いが
開始された。
          
当時の世相の中では 封建社会の遺風とされていた金銭の軽視と貨殖を卑しむ幣風が残っていた為 これを改めて国民に勤倹貯蓄の精神を培いその生活の安定を図ることを目的として創設されたもの。 以来一世紀の長い歴史の間には、社会経済情勢の変遷と金融制度の変革が繰り返されてきましたが
郵便貯金制度は常に簡易で確実な貯蓄の手段として国民の経済生活の安定と福祉の増進に寄与しつつ着実に発展を続け 当時 約2万余りの取り扱い機関と
21兆円を超える預金高を有する世界最大規模の貯蓄機関に成長していた。

貯金箱に硬貨を配す
発行日 昭和50年(1975)10月24日
20円郵便切手
グラビア4色 発行枚数 各4,000万枚
原画昨者 清水 隆志
 
創業期の預金通帳

明治8年5月2日より東京の12局と横浜の1局で郵便貯金の取扱いが開始された。 この制度は同年1月に開始された郵便為替と同様に前島 蜜が英国出張中に得た知識を生かして創設された。当時はまだ "宵越しの金は持たぬ" と言った風潮が残っている頃であり、そのため貯蓄を奨励するための周知活動を行われなければならなかった。 最初の広告と言われる貯金創業時の広告は「人民をして節倹の風を興し余金あらばこれを貯蓄し、其の健時壮時に在りて凍餒(凍え飢える)の難を防ぐ」と言った内容になっている。 前島 蜜は自ら筆をとり「貯金預法論告の大意」「貯金預所趣旨」等の周知・啓蒙文書を作ってその必要性・有利性を宣伝した。創業時には単に「貯金」とよばれ、貯金通帳には「貯金預渡通帳」と表記されていた。「郵便貯金」という言葉が現れたのは明治20年からで「郵便貯金通帳」の名称の使用は明治22年刊行の通帳が最初と言われている。

2012年(平成24年) 10月1日 「郵便局株式会社」「郵便事業株式会社」は会社統合によって「日本郵便株式会社」となり、「日本郵便株式会社」「株式会社ゆうちょ銀行」「株式会社かんぽ生命保険」「日本郵政株式会社」の
4社からなる新たな「日本郵政グループ」がスタートした。

2015/10/14

全文へのリンク 15:10:14, カテゴリ: 趣味・日本切手, 初日カバー

"天皇皇后両陛下御訪米記念"切手





四十年前の今日 (昭和50年10月14日)
天皇皇后両陛下には 日米友好親善のため

アメリカ合衆国を公式に御訪問された これを記念
して"天皇皇后両陛下御訪米記念"
           切手が発行されました。
 
切手は 日本国旗に「ハナミズキ」を配したものと
アメリカ合衆国旗に「さくら」を配した二種類
「ハナミズキ」は 1907年アメリカの陸軍長官タフト夫妻の訪日あったが かねてから夫人が桜の花を好まれていることを知り 訪日に対する答礼と帰国後
第27代大統領に就任した タフト氏に対する祝賀の意味を兼ねて 尾崎咢堂東京市長が 1912年に桜の木を贈った。この返礼として 1913年アメリカから贈られた木が「ハナミズキ」
であり日米交歓の花として有名である。この「ハナミズキ」はバージニア、ノースカロライナ両州花であり、北米一帯に広く分布しているアメリカの代表的な花です。

米国国旗に桜を配す 日本国国旗にハナミズキを配す
発行日 昭和50年(1975)10月14日
20円郵便切手 (2種)
グラビア4色 発行枚数 各4,800万枚
原画構成者 渡辺 三郎
小型シート 発行枚数 1,300万シート
1975年9月30日 初の天皇訪米が実現した。天皇両陛下は米国・バージニア州ウイリアムズバーグに日航機で到着した。 2日間ウイリアムズバーグに滞在し、10月2日にワシントン・アンドリュース空軍基地に到着 フォード大統領主催の歓迎式が行われた。
 夜にはホワイトハウスで公式晩餐会が開かれ日本の歌「さくらさくら」「浜辺の歌」が流れる中で歓迎レセプションだった。翌日の3日はアーリントン墓地、アメリカ赤十字を訪問
ワシントン市内を見学後、夜にスミソニアン博物館 コモンズホールにてフォード大統領をお迎えし、お返し晩餐会が催しされた米国には9日まで滞在され、10日には在米日本人
5千人以上から歓迎の日の丸の小旗が振られる中、ハワイ・ホノルルに到着 3日間滞在された。10月14日午後4時 2週間の表敬訪問を終え 三木武夫首相ら政府関係者及び
2千人以上の一般国民が出迎える中両陛下は日航機で羽田空港に無事到着した。

2015/10/06

全文へのリンク 15:10:06, カテゴリ: 趣味・日本切手, 初日カバー

国際文通週間






四十年前の今日 (昭和50年10月6日)
"国際文通週間"切手が発行されました。

 孔雀葵花図(二曲一双)の屏風絵
金地に濃彩で描かれた昻然と羽を広げて立つ孔雀の図
を華やかで愛らしい、立葵の図は光琳の鋭い描写力が
あらわれたもので 晩年(53歳~4歳)の作品と言われる。
尾形光琳(1658~1716)は江戸中期の画家で代表作には
「紅梅白梅図」「燕子花
(かきつばた)図」などがある。

昭和50年10月06日発行
50円郵便切手
意匠 
尾形光琳筆
「孔雀立葵図」

発行枚数 各2,800万枚
原画構成者 菊池 吉晃

「孔雀立葵図」尾形光琳筆
各縦146cm、横173cm
重要文化財 個人蔵


もとは衝立(ついたて)の表裏をなしていた作品、羽根を広げた雄の
孔雀を縁取るかのような白梅の幹や伸長し屈折する枝ぶりに
「紅梅白梅図屏風」に至る光琳の創造性がうかがえる。

《 尾形光琳 》
万治元年(1658年)~享保元年6月2日(1716年7月20日)
江戸時代の画家・工芸家  尾形光琳は後代り「琳派」と呼ばれる
装飾的大画面を得意とした画派を生みだした始祖であり、江戸時代
中期を代表する美術家のひとり  主に京都の富裕な町衆を顧客とし
王朝時代の古典を学びつつ明快で装飾的な作品を残した。
切手になった尾形光琳の作品
八橋蒔絵螺鈿硯箱
1955・3・15
第二次動植物国宝切手
「紅梅白梅図」
1969・9・25
国宝シリーズ第7集
「燕子花(かきつばた)図」屏風
1970・3・14
大阪万国博覧会記念
八橋蒔絵螺鈿硯箱
1987・5・26
第3次国宝シリーズ第7集
佐野渡硯箱
1991・1・31
馬と文化シリーズ第4集
画帖=帖の内桔梗図
1993・9・16
四季の花 第2集
扇面貼付屏風梅図
1994・1・28
四季の花シリーズ 第4集
 「四季草花図」屏風
1996・10・7
国際文通週間(3種)
   ← 国宝  「燕子花図屏風」
(根津美術館蔵)
2011・10・21
旅の風景シリーズ 第14集
(表参道周辺)

今年度発行される 「国際文通週間にちなむ郵便切手」 は・・・

2015年(H27)10月9日発行
70円郵便切手 90円郵便切手 110円郵便切手 130円郵便切手
歌川広重画      東海道五拾参次
藤袴撫子
400万枚

吉原(静岡)
500万枚
吉田(愛知)
400万枚

藤川(愛知)
300万枚
グラビア5色   切手デザイナー 玉木 明

記念押印(押印機)

記念押印(手押し)

2015/09/25

全文へのリンク 15:09:25, カテゴリ: 趣味・日本切手, 初日カバー

船シリーズ第2集 "御朱印船・天地丸"

四十年前の今日 (昭和50年9月25日)
 船シリーズ第2集 
"御朱印船・天地丸"切手が発行されました。
                      
《御朱印船》
桃山時代から江戸時代初期にかけて 東南アジア貿易
に活躍した大型外航船、京都・堺・長崎の豪商が朱印状
を手に海外貿易に乗り出したもので、初期の船は中国式
を取り入れた 船長30メートル前後のものであったが、
後にヨーロッパ船の形式を採用し大型化した。


《天地丸》
三代将軍 徳川家光が建造した将軍用御座船
構造は軍船造りで 船長44メートル幅16メートル強
深さ4メートル弱 朱塗り 76丁櫓の華麗な船
寛永 7年以来幕末まで使われた。

昭和50年9月25日発行
《 御朱印船 》    《 天地丸 》

20円郵便切手 (二種連刷)
縦 25m/m 横 35.5m/m
発行枚数 各2,900万枚
原画作者  砂川 康子 村山 麗子 
彫刻者   折原 正史 笠野 常雄

昭和第一次通常切手
昭和12年(1937)11月1日発行
朱印船 額面 5厘

長崎駅構内の模型
          《 御朱印船 》
朱印状貿易 桃山時代(1592)~江戸時代初期
               (1604頃~1,635頃)
「異国渡海朱印状」という渡航証明書を持っ船で
安南(ベトナム)・カンボジア・シャム(タイ)・ルソン(フィリピン)
など東南アジア諸国との貿易を許可された船のこと
積載量 480~3200石(74~480屯) 帆柱 3本マスト
船構造 ジャンク風で和洋折衷船で船底にキール布
乗船者 180人~(人数が判明の15隻平均236人)
交易品目輸出=銀・銅・銅銭・硫黄・刀など工芸品
   輸入=中国の生糸や絹・鮫皮・鹿皮・砂糖  


東京国立博物館の模型

          《 天地丸 》
寛永 7年(1630)~幕末(1862) 3代将軍 家光の
時代に建造され、廃船に至る幕末まで230年以上
の間 将軍の御座船の地位にあった
大きさは 500石積 76挺立で船体 総矢倉、屋形
などの全てが漆塗り 随所に金銅の金具をつけて
豪華な装飾が施されていた。
積載量 500石(約75屯)  76挺立
船構造 豪華絢爛の座形船 乗船者 約100人

:: 次のページ >>

臥竜の”アワゴ”備忘ログ


ご覧になった方
アクセスカウンター
カラコン
 

茶室
"相知庵
 
画面の中央で クリック !!
画面が変わります






| 次 >

検索

リンクブログ

須坂のリンク

いろいろ

このブログの配信 XML

須坂市公認ポータルサイト・いけいけすざか